内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

能を実体験する

2017-11-29 23:59:59 | 雑感

 今日の午後、同僚が担当する中世文学史の授業で、昨日ご講演してくださった能楽師の先生に謡の稽古をつけていただいた。
 まず、能面を四十人ほどの学生たちが一人一人自分で手に持って顔にあててみて、面をつけるといかに視野が狭くなくるかを実際に体験してみる。そして基本の構えを学生の一人にさせながら、基本動作についての説明。
 それから出席者全員での謡の稽古が始まった。
 演目は現在物の「鉢木」。旅の僧 (実は北条時頼) が大雪の夜,佐野源左衛門常世のわび住いに宿り,秘蔵の鉢の木を焚いてもてなされる場面である。

シテ 「夜の更くるについて次第に寒くなり候。何をがな火に焚いてあて参らせ候ふべき。
   や。思ひ出したる事の候。鉢の木を持ちて候。
   これを切り火に焚いてあて申し候ふべし。
ワキ 「げに/\鉢の木の候ふよ。
シテ 「さん候某世にありし時は。鉢の木に好き数多木を集め持ちて候ひしを。
   かやうの体に罷りなり。いやいや木ずきも無用と存じ。
   皆人に参らせて候さりながら。今も梅桜松を持ちて候。あの雪もちたる木にて候。
   某が秘蔵にて候へども。今夜のおもてなしに。これを火に焚きあて申さうずるにて候。
ワキ 「いや/\これは思ひもよらぬ事にて候。御志はありがたう候へども。
   自然又おこと世に出で給はん時に御慰にて候ふ間。なか/\思ひもよらず候。
シテ 「いやとても此身は埋木の。花咲く世に逢はん事。今此身にてあひ難し。
ツレ 「唯いたづらなる鉢の木を。御身の為に焚くならば。
シテ 「これぞ誠に難行の。法の薪と思し召せ。
ツレ 「しかも此程雪ふりて。
シテ 「仙人に仕へし雪山の薪。
ツレ 「かくこそあらめ。
シテ 「我も身を。

 シテ・ワキ・ツレそれぞれの言葉を、先生の後について学生たちは原文と仏訳をくり返して声に出して読んでいく。その合間に先生は場面についての説明を挟み、それを同僚が仏語に訳し、さらに補足説明を加えていく。
 このようにして約二時間の稽古は進められた。
 ただ解説を聴いたり、演目を鑑賞するのではなく、たとえ僅かな時間でもこうして能を体験できたことは、学生たちにとってばかりでなく、私にとっても貴重な経験であった。












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