内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本古代・中世の民衆に信じられていた仏教へのアプローチ

2017-09-21 22:03:57 | 講義の余白から

 いろいろ迷った挙句、今年度前期修士二年の演習のテキストは、末木文美士『日本宗教史』(岩波新書、2006年)にしました。
 以下が主たる選択理由です。基本的な問題提起が大胆かつ刺激的であり、宗教を通じて日本思想史への一つの良きアプローチになっている。思い切って細部を切り捨ててテーマごとに論点を明示しているので、議論のテーマを取り出しやすい。文章そのものが比較的平易で、修士二年の学生なら読みこなせるレベルである。
 私自身は、読んでいて、ちょっとここは納得できないよなぁ、というところももちろんありますが、それはそれでいいのです。そういう箇所でこそ、学生たちと議論すればいいのですから。
 今年の修士二年生は三名。そのうち二名は、一年間の日本留学を終えて戻ってきたばかり。もう一名は、日本に行ったことがなく、日本語能力では明らかにこの二人より劣りますが、それはしかたないよね。頑張ってもらうしかありませんね。
 この演習の準備の一環として、『日本宗教史』と併行させて読んでいるのが、同著者の『日本仏教史』(新潮文庫、1996年。初版1992年)。こちらはまさに著者の専門領域ですが、そこでも大胆な思想史的アプローチを試みていて、しかも新書より論述が詳細で、読み応え十分です。
 その終章に、「民俗学への期待」という節があります。
 民衆の中に溶け込んださまざまな行事や風習は、いわゆる宗教の教義から離れていることが多いから、例えば、古代の仏教の実態を知るためには、南都六宗の学問仏教の研究だけでは十分ではない。なぜなら、それらの教義は、所詮一部のエリート僧がそれらに関与するだけで、大多数の民衆とは無関係だからです。

民衆のあいだで信じられていた仏教の実態は、例えば『日本霊異記』などを読んだほうがよほど生き生きと描かれています。それゆえ、日本の仏教の実態を明らかにするためには、教理や歴史資料のみならず、文学やさらには仏像などの美術の分野も不可欠になります。(343-344頁)

 『日本霊異記』だけではなくて、それ以降の仏教説話集、例えば、『今昔物語集』『発心集』『沙石集』なども、同じ理由で読み直したいし、仏教美術も再訪してみたいですね。それを学生たちとするのが今から楽しみです。
 学部の古代史でも、それこそ教科書的な仏教教理よりも、こういう観点を特に強調したいと思っています。











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