内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

集中講義第二日目

2016-07-27 01:56:44 | 講義の余白から

 昨日の演習は、五日間のうち最も困難なテキスト、西田の「論理と生命」読解作業であった。西田のテキストを数行読んでは、私がまず注釈を示し、それに対しての学生たちからの質問を受け、それらに私が答えるということを繰り返しながら、少しずつ読んでいった。
 学生たちにしてみれば、なかなか出口の光が見えてこない長い長い蛇行したトンネルを、あまり頼りにならないガイドの声に導かれながら、手探りで進むような心細さ、頼りなさを感じながらの作業であったことであろう。
 それでも、一読しただけでは何を言いたいのかさっぱりわからないような文章の中に実は生動している西田の哲学的思考の現場に少しずつ彼らの目を開くことができたのではないかと自負している。伊達に長年西田を読んできたんじゃないぜと言いたいところである。
 嬉しいことに、今年の学生たちはこちらの問いかけに実によく反応してくれる。質問の筋もいい。ときにとてもいい具体例を示してもくれる。それによって他の学生たちの理解も深まった。
 その理解は、西田の文章をそれよりもいくらかでもわかりやすい別の言葉に置き換えただけというのとは違う。それだけのことなら、それは理解でさえない。西田が考えていることが自分自身の経験・生活世界の事柄とどこでどうかかわっているのか彼らなりに考えるように促しながらテキストを読んでいくうちに、西田の言葉が彼らの思考空間の中に共鳴を引き起こし、それがあたかも闇夜に閃光が走ったときのように、それまで見えていなかった経験の層をたとえ一瞬でも照らし出す。そんな瞬間が読解作業の過程でそれぞれの学生に起こったことは、演習後にその日のうちに彼らが書いて送ってくれた感想を読んで確認することができた。
 そして、そこからまた新たな疑問が生まれてくる。今日の演習はその疑問に答えることから始まる。




















































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