内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ダンディーと鏡とメランコリー、あるいは「悲しみに沈むたそがれの美しさ」

2019-01-27 11:53:27 | 哲学

 自身の姿を「隈なく」「忠実に」映すことができる鏡を手に入れた近代人は、見かけの自己とそれを見ている自己との乖離に苦しむようになる。この乖離を自覚ししつつ、見かけのエレガンスにすべてを賭けるダンディーの心性はメランコリーであるほかはない。見かけに細心の注意をさり気なく払うことによってダンディーが守ろうとしているのは、目に見えぬ自由なる精神の高貴さであり、この意味において、ダンディーは「貴族階級」に属する。この階級は、「平等」の名の下にすべてを平均化する「民主主義」のなかで滅びざるをえない。

 Puissance et insatisfaction : car celui qui se regarde ne peut jamais se contempler comme un pur spectacle ; il est à la fois sujet et objet, juge et partie, bourreau et victime, tiraillé entre ce qu’il est et ce qu’il sait ; il prend conscience de la distance, tout en continuant d’adhérer à l’image et son malheur vient de ce demi-acquiescement. Le dandy incarne cette forme ultime de la conscience de soi par où, acteur de soi-même, il ne cesse de contempler cette séparation douloureuse de l’être et de l’apparence et de s’identifier au moi spéculaire : le dandy a la « beauté d’un crépuscule endeuillé » ; après lui, survient le temps de la désillusion et de l’ennui, où le sujet se dissout dans le jeu des réflexions ou se décompose dans l’impersonnalité (S. MELCHIOR-BONNET, Histoire du miroir, op. cit., p. 267-268).

 力と不満。なぜなら自分の姿を見る者は、純粋な光景として自分を熟視することは決してできないからである。彼は主体であると同時に対象でもあり、裁く者でありかつ裁かれる者であり、処刑者であるとともに処刑される者でもあり、実際にそうであるところの自分と自分が知っている自分とのあいだで引き裂かれている。彼は映った像に与し続けているにもかかわらず、像との隔たりは自覚しており、この中途半端な同意から彼の不幸が生まれる。ダンディーは自意識のこの最終形態を体現しており、ゆえに自分自身の役者である彼は、実在物と見かけとのつらい分離を熟視し続け、そして鏡に映った自我と一体化し続ける。ダンディーには、「悲しみに沈むたそがれの美しさ」がある。その後には幻滅と倦怠の時が不意に訪れ、そのとき主体は、反射の戯れのなかで解体するか、あるいは没個性のなかで分解される。(『鏡の文化史』前掲書、292頁)

 この引用中の「悲しみに沈むたそがれの美しさ」(« la beauté d’un crépuscule endeuillé »)というそれ自体が美しい表現は、スタロバンスキーの La mélancolie au miroir. Trois lectures de Baudelaire, Julliard, 1989, p. 25 の中の一文 « Le dandysme a la beauté d’un crépuscule endeuillé. » からの引用である。この一文の直後に、スタロバンスキーは、ボードレールの Le Peintre de la vie moderne の中の « Le dandy » から次の一節を引用する。

Le dandysme est un soleil couchant ; comme l’astre qui décline, il est superbe, sans chaleur et plein de mélancolie (Œuvres complètes, II, p. 712).

 この悲しみに沈む黄昏の美しさは、爛熟した文明の末期にその理想を守ろうと洗練された身だしなみで陽気に冷たく振る舞う憂鬱なる精神的貴族たちとともに消えてゆくほかはない。












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