内的自己対話-川の畔のささめごと

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現代を生きる私たちに歴史と文学が与えてくれるもの ― 石井進『中世武士団』から

2021-06-27 17:32:22 | 読游摘録

 石井進の『中世武士団』(講談社学術文庫 2011年)は、中世武士団の生ける姿を全編興味尽きない叙述と考察によって鮮やかにかつ多面的に描き出した名著である。史料の扱いが見事なのは、歴史家としての本領の発揮で、当然といえば当然のことだが、私が特に驚きかつ惹かれるのは、その文学作品の巧みな取り扱い方である。解説で五味文彦氏も述べているように、「文学作品を使って、こんなにも豊かな歴史的な世界を描くことができるのか」という驚嘆を禁じ得ない。もちろん、現地調査、考古学の発掘成果、民俗学的視角、社会史的視点からの考察も本書を中世武士団の世界への魅惑的な入門書にしている。
 しかし、まったく個人的な関心から、私の注意は文学作品の扱い方に向かう。なぜなら、私が哲学研究として行いたいことは、僭越至極であることを承知で言えば、文学と歴史と哲学とを交叉させ、その交叉点を出発点として、哲学的考察をいわば螺旋状に展開・深化させることだからである。言い換えれば、それは、文学作品および文学研究と歴史的事実・出来事および歴史研究とに学びつつ、その中に哲学的に考察されるべき要素を見出し、その要素を哲学の問題として抽出・拡張・重層化させることである。来月行う近江荒都歌における歴史認識についての発表も、本人としては、まさにそのような試みの一つにほかならない。
 さて、『中世武士団』は、大佛次郎の『乞食大将』(1947年)の紹介から始まる。大佛のこの作品は、「大将でもあり乞食でもあった」織豊期の勇将後藤又兵衛基次の一代記である。この作品の中で主人公又兵衛と並んで重要な位置を占めているのが宇都宮鎮房である。本書は、この鎮房を、中世武将の典型として、『乞食大将』からの引用を効果的に随所に鏤めながら生き生きと描き出していく。例えば、次のように。

 秀吉の勢力がここ九州の一角におよんできたとき、単純で正直な鎮房はこれに従うよりほかはないとみて秀吉に従った。しかし秀吉が城井谷の所領を取りあげ、かわりに伊予国今治(愛媛県)に移れという朱印状を与えると、鎮房はこれまた単純にきっぱりと朱印状を返上した。領土の多少が問題ではない。城井谷は先祖が頼朝公から拝領して以来、連綿と相続してきた所領である。これをすてるわけにはまいらぬ、という。「土の香のする頑固で不屈の面魂が、ぬっと出たのである」。

 このようにきりりと引き締まった文体で鎮房の面目を見事に活写することで、読者をまず中世武士団の世界にぐいと引き入れておいた上で、「「中世武士団」を「社会集団」としてとりあつかい、かれらの実態と特色をうかびあがらせるのが、本書に与えられた課題である」と本題に入る。「まさにお手並み鮮やかという一言に尽きる」(五味文彦氏解説)。
 巻末の「失われたもの、発見されるもの――おわりに」では、史料に基づいて宇都宮鎮房の実像を示し、『乞食大将』が与える鎮房像について修正すべき点を明記している。文学と歴史の間のこのバランス感覚も賛嘆せざるを得ない。
 本書は次の一節によって締め括られている。

中世から近世への進歩のなかでは、失われたものもまた大きかったのである。『乞食大将』の宇都宮鎮房や後藤又兵衛が、いまもなお読者に強い印象をあたえるのは、こうした「失われたるもの」「自立性」への要求が、現代のわれわれのなかにひそんでいるからであろう。あの太平洋戦争末期、「あまり悪い軍人ばかりだから、いい軍人をこの小説で書いてみせる」と「放言」して執筆にかかったという作家大佛次郎の烈々たる抵抗の精神からこの作品は生みだされたように、これからのちも中世武士団のよき一面がくりかえし再発見され、現代を生きるわれわれに何ものかをあたえてくれることを信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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