内的自己対話-川の畔のささめごと

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石橋湛山の小日本主義と平和主義 ― 大正十年の社説「大日本主義の幻想」より

2021-06-26 23:59:59 | 読游摘録

 今からちょうど百年前、大正十年、ワシントン海軍軍縮会議に際して『東洋経済新報』に発表された石橋湛山の社説「大日本主義の幻想」は、今日もなお味読に値する雄編である。その理想主義的な高調は今日そのまま受容することはできないとしても、そこに展開された同時代の国際情勢の認識の確かさは、その後の昭和の歴史が証明している。しかし、発表当時、その平和主義・小日本主義は、「空想」扱いされ、真剣に耳を傾けるものはいなかった。それどころか、ますます大日本帝国主義が喧伝され、満州事変から日中全面戦争へ、そして太平洋戦争へと突入し、日本は惨憺たる敗北を喫した。そして、湛山が1921年にあれほど強く訴えた植民地「一切を棄つるの覚悟」を無視した日本は、戦後、連合軍によって他律的に植民地放棄を強いられた。
 以下、半藤一利の『戦う石橋湛山―昭和史に異彩を放つ屈服なき言論』(東洋経済新報社 1995年)からの引用である。

 大正十年は、ときに湛山三十七歳のころである。天才には年齢はないというが、やっぱりその若さには驚嘆せざるをえない。四十歳前の、いわば書生っぽで、よくぞこれほどの世界観をもちえたものよ。しかもその説くところは、直輸入のイデオロギーや社会科学の法則や、だれかがとなえた世界史の原則といった借りものではない。他人の言説に照らして、それらを駆使して事を裁断するような面は皆無である。
 湛山の論理基準はまことに明瞭。まず事実と数値によって事を正しく把握し、経済上の利益がどこにあるかを冷静に合理的に見通すまでなのである。そしてみずから考えだした論理を押しつめて、たどりついた結論が「小日本主義」。いいかえれば、当時の日本人の多くが抱いている「大日本主義」をあっさりと棄てよという、棄てたところで、日本になんらの不利をももたらさない。かえって大きな国家的利益となる、ということであったのである。
 こうして湛山はこの社説をつぎのように結ぶのである。

 朝鮮・台湾・樺太・満洲というごとき、わずかばかりの土地を棄つることにより広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない。

 そしてもし、こうしたヒューマニスティックな政策を日本がとっているにもかかわらず、アメリカやイギリスがなお横暴であり驕慢な政策をとって、アジアの諸民族ないしは世界の弱小国民を虐げるようなことがあったらどうするか。そのときには日本が、その虐げられるものの盟主となって、断々乎として英米を膺懲するべきである。
 この場合においては、区々たる平常の軍備のごときは問題でない。戦法の極意は人の和にある。驕慢なる一、二の国が、いかに大なる軍備を擁するとも、自由解放の世界的盟主として、背後に東洋ないし全世界の心からの支持を有する我が国は、断じてその戦に破るることはない。もし我が国にして、今後戦争をする機会があるとすれば、その戦争はまさにかくのごときものでなければならぬ。しかも我が国にしてこの覚悟で、一切の小欲を棄てて進むならば、おそらくはこの戦争に至らずして、驕慢なる国は亡ぶるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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