内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

虚空は何色か ― シベリア寒気団襲来中の青空を見上げながらのきれぎれの思念

2018-02-25 15:48:25 | 哲学

 先週からシベリア寒気団が襲来していて、身を切るような冷たい風が街に吹き荒れている。今日の最低気温は零下7度、最高気温は零度。ただ気温が低いだけなら、この程度の寒さはそれほど身にこたえないのだが、自転車で走っていると押し戻されそうなほどの逆風の寒気に晒され続けると、やはりちょっとつらい。
 よくわからないことがある。なぜ大学への行きも帰りも逆風なのか。シベリアからの寒気団なら北東風のはずではないか。自宅がある市の北東部から大学へ南下するときは追い風であってしかるべきなのに、いつも逆風なのである。これって、俺の人生そのものじゃん、などと口辺に皮肉な笑みを浮かべつつ独り言ち、ヤケクソにペダルを踏み込む。生まれてこのかた、順風満帆なんて、学校で四字熟語として学習したことがあるだけで、実人生ではついぞ経験したことがない。まあ、もう諦めてるからいいけど(浮き世はけっきょく憂き世だよね、サイカクさん)。
 今朝は、零下の寒風吹きすさぶなかの屋外水泳であった。さすがの常連たちもきょうはいつもの半数くらい(あっ、昨日から冬のヴァカンスが始まったってこともあるか)。しかし、水の中に入れば、水温は28度から30度あるので、少しも寒くないのである(嘘だと思うなら、お試しあれ)。寒風に吹き洗われ雲一つない青空を見上げながら、背泳ぎでガンガン泳いだ。泳後の爽快感は、その日一日をポジティブに生きてみようかという気にさせるに充分である。
 さて、唐突であるが、今朝から一つの問いに取り憑かれている。来月27日にする講演の内容と関連してのことである。
 虚空とは何色であろうか。夕日に染まった虚空とか、雲に覆われた虚空とか、雨降る虚空とかって、あまり想像しないと思う。そもそも虚空は何色かという問いの立て方が間違っているのか。いや、やっぱり、虚空は、雲一つない青空のことではないのか。
 しかし、そうだとしても、虚空の青は他の色と区別あるいは対立する一つの色として見えている青ではないと思う。それはどこまでも透明な眼に見えない青(ここで昔懐かしい村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を思い出された方もあるかもしれないが、それとは何のカンケイもありません。そもそも読んだことないし)という、矛盾した表現を要請する何かのような気がする。
 虚空は、実体ではないが、幻影でもない。抽象概念でもない。視覚対象でもない。それ自体はどこにもないが、現れるすべてのことを包み超える永遠に黙せる無窮の動性とでも言えばよいであろうか。
 Gaston Bachelard, L’Air et les Songes. Essais sur l’imagination du mouvement (1943) (邦訳『空と夢―運動の想像力にかんする試論』法政大学出版局、「叢書・ウニベルシタス」、1968年)を読み直しながら、少し考えてみよう。












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