内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「すべての歴史は現代史である」

2022-09-17 23:59:59 | 講義の余白から

 昨日の記事の最後の段落で言及した『大学でまなぶ日本の歴史』の「オリエンテーション」には「歴史の学び方」に続いて「歴史と現在」と題された節がある。この節は来週の授業で読む予定だ。
 この節には、イタリアの哲学者・歴史家クローチェとイギリスの歴史学者E. H. カーからの引用がある。後者は名著『歴史とは何か』(岩波新書、1962年。原本 What is History ? は1961年刊)からの引用で、引用箇所もすぐに特定できるが、前者については、「すべての歴史は現代史である」という一文が引用されているだけで出典が示されていない。出典は La storia come pensiero e come azione (1938) である。本書には日本語訳『思考としての歴史と行動としての歴史』(上村忠男訳、未來社、1988年)がある。フランス語訳 L’Histoire comme pensée et comme action (Droz, 1968) もあり、その全文の最初の三分の一ほどがグーグルブックスで公開されている。その中に「すべての歴史は現代史である」という考えを表明している箇所がある。

Le besoin pratique, qui est à la source de tout jugement historique, confère à toute histoire le caractère d’« histoire contemporaine » : en effet, si éloignés de nous et même si perdus dans le plus lointain passé que semblent les faits qui entrent dans cette histoire, il s’agit toujours en réalité d’une histoire qui se réfère aux besoins et à la situation actuelle, dans laquelle se propagent les vibrations de ces faits (p. 38).

すべての歴史的判断の源である実際的な必要が、すべての歴史に「現代史」の性格を与えている。実際、この歴史に登場する諸事実が、いかに我々から遠く離れ、最も遠い過去に失われたように見えても、それは常に現実には(現在の諸々の)必要と現在の状況とに関連している一つの歴史なのであり、この状況の中でそれらの事実の振動が伝播しているのだ。

 この一節はカーの『歴史とは何か』の脚注の一つに英訳が引用されており、『大学でまなぶ日本の歴史』の著者たちは、おそらく『歴史とは何か』のみを参照し、クローチェの著作に直接あたらなかったからクローチェの当該著作名を挙げなかったのであろう。その英訳はこうなっている。

The practical requirements which underlie every historical judgment give to all history the character of “contemporary history”, because, however remote in time events thus recounted may seem to be, the history in reality refers to present needs and present situations wherein those events vibrate. (B. Croce, History as the Story of Liberty (Engl. transl., 1941), p. 19.

 イタリア語原文を見たわけではないのでどちらがより正確なのか確かなことは言えないが、仏訳と英訳との間に微妙な違いがいくつか見られる。仏訳は si éloignés de nous et même si perdus と過去分詞の形容詞的用法を重ねているところ、英訳は remote 一語で済ませている。英訳では to present needs and present situations となっているところ、フランス語訳では aux besoins et à la situation actuelle となっている。文脈からして「現在の」は「必要」にも「状況」にもかかると見るべきで、英訳はそれを正確に反映しているが、フランス語訳では actuelle は直前の situation にしかかかっていない。英訳では situations と複数形なのに、仏訳では単数形になっている。英訳の関係副詞 wherein は先行詞として needs も situations もとることができるが、仏訳の関係代名詞 laquelle は女性単数形であるから、situation のみを先行詞としている。いずれにせよ、「すべての歴史は現代史である」というテーゼは変わらないから、これらの違いは文章の内容からすれば小さな問題だし、イタリア語原文がわかれば簡単に決着がつく。どなたかご教示いただけないでしょうか。