内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

滞仏丸二十六年 ―「命なりけり」と「命生く」の間

2022-09-10 15:46:40 | 雑感

 このブログを始めた二〇一三年から毎年九月一〇日には「滞仏丸〇〇年」と題して、来し方を振り返り、行く末を想い、しばし感慨に耽るのを恒例としてきた。今年でそれも十回目を数える。想定外の事態でも発生しないかぎり、あと四、五年はこちらで暮らすつもりであるから、今更改まって特別な感想や抱負があるわけでもないが、なにはともあれ今年もフランスでこの日を迎えることができたのは「命なりけり」、幸いなことであり、不可思議な縁である。
 「命生く」という古語がある。手元にある十冊の古語辞典のうち九冊は「生きながらえる」という語義と用例を挙げるのみで用法についての説明がない。用例はほとんど『平家物語』から取られている。三省堂の『全訳読解古語辞典』(二〇一七年)のみが《参考》欄で「「命生く」の使用は、当時としてはふつうの言い方で、『徒然草』『平家物語』『今昔物語集』などに多く見られる。間に助詞「を」が入ることもある」と説明している。
 「当時」がいつを指すのかはっきりしないが、平安末期から鎌倉時代にかけてということだろう。手元にある中世の古典作品のうち原文で用例を確認できたのは『平家物語』だけだった。
 その一例は「祇王」にある。清盛入道に仏御前を慰めろと召喚され、いやいやおもむくも衆目の前で屈辱的な扱いを受け、帰宅して母と妹の祇女に向かって、かくなるうえは自害すると祇王が言えば、祇女もまた姉と共に自害すると言う。それを聞いて母とぢは悲しみ途方に暮れ、涙ながらに教え諭してこう言う。

まことにわごぜのうらむるもことわりなり。さやうの事あるべしとも知らずして、教訓してまゐらせつる事の心憂さよ。但わごぜ身を投げば、いもうともともに身をなげんと言ふ。二人のむすめ共におくれなん後、年老いおとろへたる母、命いきてもなににかはせむなれば、我もともに身をなげむと思ふなり。

 「烽火之沙汰」からも一例引こう。後白河法皇の幽閉に踏み切ろうとする清盛に対して、嫡男重盛が命がけで諫言する場面である。

「富貴の家には禄位重畳せり。ふたたび実なる木は、其根必ずいたむ」と見えて候。心ぼそうこそおぼえ候へ。いつまでか命いきて、乱れむ世をも見候べき。只末代に生をうけて、かかる憂き目にあひ候。重盛が果報の程こそ拙う候へ。

 生きながらえても甲斐なきこと、ただ憂き目を見るばかり、そういう文脈で「命生く」が使われている。生きながらえることでそれだけ余計に苦しみを味わう、ますますひどくなる世の乱れを目の当たりにして憂悶する。それは今も昔も同じではなかろうか。