内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

世界への違ったまなざしとそれとともに歩まれた違った道

2021-11-20 16:41:15 | 哲学

 哲学がそれを表現する言語の文法に呪縛されていることを喝破したニーチェの『善悪の彼岸』の次の一節はよく引用される。

 言語の類縁性が存在するところにあっては、文法の基本的な考え方が同一であるために―ということは、類似した文法の機能が無意識に支配し、導くということだ―、哲学の体系はいつも同じ形で発展し、配置される。これはあらかじめ定められていること、避けがたいことなのである。そして世界をもっと違う形で解釈する可能性の道が閉ざされているようにみえるのも、避けがたいことなのだ。
 ウラル・アルタイ語圏(ここでは主語の概念の発達がきわめて遅れている)の哲学者たちはおそらく、インド・ゲルマン語圏の哲学者たちや、イスラーム教徒たちとは違ったまなざしで「世界を」眺めるだろうし、もっと違った道を歩むことになるだろう。

『善悪の彼岸』光文社古典新訳文庫、中山元訳、2013年

 来週木曜日の学会の発表では、ニーチェがいうところの世界への違ったまなざしとそれとともに歩まれた違った道が、日本語について日本語によって固有の術語を用いて表現された言語思想と生物の世界の観察から導き出されたユニークな生命観との中に実現されていることを示す。