今年度に予定されていた九州大学への留学をコロナ禍のせいで諦めざるを得なくなった修士二年の学生がいる。対馬藩の近世外交史をテーマにした修士論文を執筆中で、九大への留学はその論文を仕上げるのに必要な現地調査のためにも是非実現させてあげたかった。しかし、これ以上宙ぶらりんな待ちの状態に置かれるより、フランスにとどまって今年度中に修論を仕上げて前に進みたいと本人が言うので、論文の構成の変更を提案した。今その案に従って仕上げようとしている。すでに百枚以上書けており、全体のバランスもよく、何とか年内には口頭試問にこぎつけるだろうというところまできた。
その学生から先月末にメールが来た。論文の方は順調だけれど、留学は駄目になったし、最近全然日本語を話していないので、日本語表現力が落ちている。このままだと来年受験するつもりの日本語能力試験2級もあやしい。どうしたらいいかという相談であった。ZOOMで日仏両語を使って話し合った。今は修論完成が最大目標だから、その補助になるような形で日本語口頭表現能力の立て直しを図ろうと提案した。具体的には、手始めとして、修論のために読んでいる日本語の文献を声に出して読むことを提案した。しかし、ただ自分一人で声に出して読むだけでは、正しく読めているかどうかわからない。だから、私が聴手となって、読み方を確認することにした。
昨日がその第一回目だった。テキストは、山本博文の『対馬藩江戸家老 近世日朝外交をささえた人びと』(講談社学術文庫 2002年)の「はじめに――対馬藩の特殊性」に予め決めてあった。彼女はこの本をすでに熟読しており、内容理解には問題がない。一段落ずつ声に出して読ませた。聴手がテキストを見ないで聞いてもわかるように読むのは実はそんなに簡単なことではない。漢字の読み間違いがあってはならないことは言うまでもないが、発音や一文内の区切り方などが不適切だと聞いただけではわからなくなる。だから、一応は読めていても、それらの点に問題があると事細かに注意した。
夏休み中は、ずっとバイトしながら論文を書き続けるという。週一回くらいのペースで「声に出して読む日本語レッスン」を続けることを提案した。次回のテキストは、荒野泰典『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫 2019年)である。本書の基になっているのは、かわさき市民アカデミーでの講義(2002年)である。本書にもそのときの話し言葉の調子が残されている。それだけ読みやすく、使える表現も多い。テーマもまさに彼女が修論で扱う問題に直結している。