内的自己対話-川の畔のささめごと

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「古代の倭/日本は、もともと双系社会だった」― 義江明子『女帝の古代王権史』より

2021-07-18 20:19:12 | 読游摘録

 昨日の発表に対して、その主旨からは逸れるがと断った上で、「日本はもともと母系(女系)社会であったのに、それが父系(男系)社会に転じたのはなぜなのか」という質問があった。それに対して、「日本はもともと双系社会であったのが、持統天皇が導入した直系継承が契機となり、八世紀後半に女帝が終焉し、父系直系継承へとシフトしていった」と簡単に答え、三浦佑之『神話と歴史叙述』(講談社学術文庫 2020年)と武澤秀一『持統天皇と男系継承の起源』(ちくま新書 2021年)を参考文献として挙げるにとどめた。
 しかし、今日になって、義江明子『女帝の古代王権史』(ちくま新書 2021年)をむしろ挙げるべきだったと気づいた。著者は、歴史学者としてまさにこの問題に取り組み、『日本古代女帝論』(塙書房 2017年)を上梓しているからである。
 以下、『女帝の古代王権史』から上掲の問いに関わる箇所から摘録しておく。

六~八世紀の倭/日本には、女の王を普遍的に生み出す条件があり、八世紀後半以降はそれが失われていったとみなければならない。

女帝を普遍的に生み出した条件とは何か。それは双系的親族結合と長老原理である。

双系的親族結合を基本とする社会では、父方と母方のどちらに属するかは流動的で、父方母方双方の血統が子の社会的・政治的地位を決める上で重要な要素となる。人類学的な知見によると、こうした社会は東南アジアから環太平洋一帯に広がりをみせていて、日本列島もそこにつらなる。古代の倭/日本は、もともと双系社会だったのである。

長老女性が退位後も太上天皇として年少男性を支え育成するというシステムが持統によって築かれ、八世紀を通じて律令国家における君主権の強化を実現した。双系社会の長老原理を土台に、新たに導入された直系的継承へのソフトランディングがなされたのである。八世紀後半に女帝が終焉した後、数々の模索を経て、父系直系継承原理のもと即位した幼帝を母后と外戚摂政が支えるという新たなシステムは、九世紀半ば以降に築かれていく。

 最初の二つの引用の中で使われている「普遍的」という言葉に引っかかるが、それを除けば、これらの引用に示されている見方は学界の女帝研究の最新動向を反映していると見てよいことが「あとがき」を読むとわかる。