内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

平明で美しい日本語で綴られた科学書の古典 ― 中谷宇吉郎『雪』

2021-01-30 14:21:46 | 読游摘録

 昨日紹介した『雪月花のことば辞典』の第一部「雪のことば 付(つけたり)霜と氷のことば」のの「はじめに 雪――天から送られた手紙」の冒頭に、世界的な雪氷学者として知られた中谷宇吉郎の古典的名著『雪』からの引用があります。引用されているのは雪の定義を述べている箇所です。同書の第二「「雪の結晶」雑話」の第七節冒頭からの引用です。『雪月花のことば辞典』にはごく一部しか引用されていませんが、ここにはその部分の前後を含めた二段落をまるごと引用しましょう。

 雪とは一体何であるか。それは簡単にいえば水が氷の結晶になったものであるということが出来る。しかし普通の水が凍ればそれが雪になるかと言えば、決してそうではないことは誰も知っている通りである。池の水が凍ったものを雪と呼ぶ人はいない。雪解けの水や滝の流れが凍って棒状になっても、それは氷柱であって、雪にはならない。凡てわれわれが普通に知っている氷は液状の水が凍ったものであるが、この種の氷は雪にはならないのである。
 雪は水が氷の結晶となったものなのである。それで結晶とはどんなものであるかということを簡単に述べることとする。結晶について詳しく学ぶことは、非常に難しいことであって、その述説は恐らく一冊の本になるであろうが、此処で必要な程度に結晶の定義をいえば、「物質を作っている原子が空間的に或る定まった配列をもってならんだものである」というに尽きる。

 こんな調子で、読者を雪の研究の世界へとやさしい言葉遣いで徐々に導いてくれます。そして、最終部である第四部はよく知られた次のような美しい文章で結ばれています。

 このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。

 本書の解説(樋口敬二)は、本書の古典たる所以を次のように述べています。

『雪』を読んでゆくと、まるで自分も中谷といっしょに仕事をしているかのような気持ちになって、研究の道筋をたどり、それを通して、自然を見る目、現象について考える態度が身につき、自然科学の研究の面白さがわかる。そのような“知恵の本”は、日本では『雪』に始まり、その魅力は時を超えている。だから、古典なのである。

 平明で美しい日本語で綴られたこのような一般向けの科学書の古典を持っていることを、日本人として誇らしく、また幸いなことであると私は思います。