内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

採点、書写、読書

2021-01-06 15:27:56 | 哲学

 昨日までに百十五枚のレポートの採点とコメントが終わり、採点作業として残っているのは七十枚の試験答案だけとなった。レポート未提出者が何人かおり、その分予定枚数より少なかった。ともかく先が見えてきてほっとしている。
 答案七十枚の内訳は、「近代日本の歴史と社会」が二十八枚、「メディア・リテラシー」が四十二枚。今朝からメディア・リテラシーの方の採点を始めた。昼過ぎに十枚の採点とコメントを終えたところで今日の採点作業は終了とした。答案はすべてPDF版で、それをずっとコンピューターの画面で読んでいると眼がとても疲れるので、一日十枚に制限することにしたのだ。それでもあと六日ですべて終えることができる。成績提出の締め切りは十五日であるから余裕がある。
 フリーのジャーナリストが書いたある日本語のテキストを読み、そこに提示されている市民ジャーナリズムの具体的な試みの可能性と問題点を論ぜよ、というのが問題だった。それぞれになかなかよく考えられた答案で、中には授業外で自分が独自に調べた情報を盛り込んでいる答案もあり、出題者としては大いに満足しながらの採点作業ではあったが、いかんせん、眼の疲れはつらい。
 しかし、私などは楽な方である。他学科あるいは他学部には、何百という答案を採点しなくてはならない先生たちもたくさんいて、試験を遠隔で行った場合、しかもそれが小論文形式であれば、コンピューターの画面上のPDF版の答案と何日も向き合い続けなくてはならない。もちろん、大学の印刷所に頼んでプリントアウトしてもらうことはできる。そうした先生たちもきっといることだろう。
 午後は、まず書写。源氏物語の初音の続き。その後、紙の本の読書で眼と心の疲れを癒やす。谷崎潤一郎の『細雪』。会話はすべて関西弁だから、東京人の私には実のところ微妙な味わいはわからない。声に出してうまく発音することもできない。それでも読んでいてこれほど心地よい文章も珍しい。プレイヤード叢書の仏訳を並行して読んでみると、こちらのほうが会話の部分がすっと頭に入ってくる。原文の上品な関西弁の香りは、当然、雲散霧消。これは致し方ない。