内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

表層と深層の両方での遠隔相互作用性 ― I ♡ Japan から遠く離れて

2020-11-27 21:37:18 | 講義の余白から

 今日の記事のタイトルは、何やら小難しそうですが、実のところ、半分はただのこけおどしです。
 先日の記事で話題にしたように、今月初めの遠隔授業への移行以来、授業前に音楽を流しています。その音楽の選択はまったく私の趣味によります。今日の「近代日本の歴史と社会」では、ユーミンの『日本の恋とユーミンと。』をシャッフルで流していました。ユーミンの曲の中には宮崎駿の作品に使われているものも何曲かありますから、ユーミンのことは知らなくても、それらの曲は知っている学生も少なくないはずです。先週流した音楽とは、ですから、ジブリ繋がりだったわけです。
 授業はいつも定刻きっかりに始めます(まるでNHKみたいに)。今日も午前11時きっかりに授業を始めました。といっても、最初はチャットでの挨拶のやりとりなのですが、その中に、「先生、次回の音楽はバッハでお願いします」というのがありました。ちょっと意外だったのですが、「OK。じゃあ次回はバッハを流します。ほかにも流してほしい曲があったら、みなさん、リクエストしてくださいねー」ってマイクを使って応答しました。ちょっとラジオのDJみたいな感じになりました。
 思いつきでそう応えただけなのですが、これはこれでいいのかなって、授業の後、思いました。好きなときに好きな曲を聴きたいだけ聴くことが今ほど容易な時代もかつてなかったわけですが、それはそれ。「今日は、○○さんのリクエストに応えて、オープニングはこの曲です」といった乗りで、みんなそれぞれ別の場所に居ながら、同じ音楽をたとえ数分間でも一緒に聴く時間を持つというのは、また別の体験でしょう。こっちとしても曲選びは楽しいしね。
 今日の二コマ目「メディア・リテラシー」では、ジャーナリストの役割とは何だろうという問題を一つの具体的な例を通じて考えるために、堀川惠子さんの死刑に関する一連の著作を取り上げました。
 その日その日に浮かんでは消えてゆくような出来事を追いかけるのがジャーナリストの本来の仕事ではないはずです。権力に抗してでも、国民に真実を伝える使命感をもって徹底的に取材し、その成果を、一方ではテレビのドキュメンタリーとして広く視聴者に訴えかける仕方で伝え、他方では、ノンフィクション作品として長く残る形で細部まで丁寧に描き出す彼女の仕事は、ジャーナリズムのあるべき姿について私たちが具体的に考えるためのよき実践例の一つです。
 そのことを死刑という重いテーマを通じで学生たちと一緒に考えたいというのが選択の意図でした。そこには、いまだに死刑擁護派が圧倒的多数を占める日本は、死刑廃止が主流である先進国の中で際立った例外をなしており、その理由は何なのかということを問うことも含まれています。死刑制度を合法的なものとして保持したまま裁判員制度を採用した法治国家に生きる日本人自身が自分自身の問題として死刑の存廃を考えなければいけないのはもちろんですが、日本に関心を持つ学生たちにとっても、日本という国をよりよく理解するためには、これは避けて通れない問題だと私は考えています。
 日本が大好きな君たちよ、ほんとうに日本のことが好きなら、「I ♡ JAPAN」とか「COOL JAPAN」などという荒唐無稽なお祭り騒ぎの陰に隠れた現代日本社会の深刻な問題のことをちゃんと知ってください。そういう問題から目を背けずに日本の現実と向き合ってこそ、ほんとうの日本研究であり、日本愛なのです。