内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

小論文添削道場主からのメッセージ

2020-11-07 23:59:59 | 講義の余白から

 今週の日本語小論文のお題は、「他人のつらさを自分のつらさのように感じることはできるでしょうか」であったことは今月二日の記事で話題にした。授業で吉野弘の「夕焼け」を朗読し、『この世界の片隅に』の漫画原作とノベライズを一部解説した上での出題であった。明日日曜日の23時59分が締め切りである。
 現在、金曜日夜の時点で、九本届いている。文章力の差は歴然としている。最優秀の学生は、たった三日で二八〇〇字を超える堂々たる文章を書いて送ってきた。内容的にも優れていて、現実世界における共感の困難さと検証不可能性について論じたあと、文学における虚構世界での登場人物との共感的一体化の可能性に文学作品の存在理由の一つとして示すことで締めくくっている。讃辞とともに添削を返送した。
 他方には、ただの一文も直しの入らない文はなく、しかも言いたいことがよくわからないところがあるから完全には直せない文章しか書けない学生もいる。よくわからないから書き直せと言いたいところだが、そうしてもさして改善するとは思えない。またしても添削で真っ赤になった自分の文章を見て、意気阻喪するばかりだろう。ただ、そういう学生も自分が言いたいことがうまくいえないもどかしさに苦しんでいることは文面から察することができる。お題そのものには強い関心があり、言いたいこともいっぱいあるのだ。だが、それが日本語の文章としては表現できない。思うこと・考えていることはいろいろあるのに、それが言葉にならないという経験が重なると、学習意欲も削がれてしまう。
 総合的な知力に秀で、日本語の作文能力も決して低くはないが、自分に対する要求水準が高い学生も苦しむ。フランス語での自分の思考の微妙な部分が日本語では表現できていないということがよくわってしまうから、いつも締め切りギリギリまで推敲を重ねる。それでも満足しきれないまま送ってくる。結果、本人が予想していた以上に私の朱が入った添削が送られてくる。本人の言いたいことが私にはよくわかるから、それに相応しいより高度な日本語表現を提案するつもりで朱をいれているのだよと説明を添えて添削された文章を返すのだが、本人は素直にはそれを喜べない。
 自分の日本語力のレベルがよく自覚できていて、その範囲で無理せずに書いてくる学生もいる。言いたいこともよくわかるし、直しの必要もほとんどない。これは一つの賢い選択ではあるのだが、そこに安住していると伸びない。こういう文章に高得点は上げない。むしろやや低めの点数にする。体操競技で難度の低い業でうまくまとめても点数が伸びないのと同じ理屈だ。低めの点数は「もう一歩上を目指せ」という私からメッセージなのだ。