内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

Nostalgie et souffrance(ノスタルジーと苦悩)、あるいは問題発見の喜び

2019-06-26 23:59:59 | 哲学

 三日後に迫っているイナルコでの発表の準備が大学の雑務に妨げられて遅々として進まない。最初から原稿は用意するつもりはなかったのだが、それにしても最低限のメモとパワーポイントの作成だけは何とか仕上げないといけない。先週からまとめ始めたノートには、発表の素材としては十分なだけの質量があるのだが、それを発酵させる時間が足りない。
 というわけで、時間的にはとても厳しいのだが、実はそんなに焦っていない。開き直ったわけでもない(と、ここまで書いて気づいた。すべての文が「ない」で終わっている。やっぱり追い詰められた気持ちがそうさせているんですかね)。
 どうしてそういう楽天的とも呼べそうな気分なのかというと、過去にも経験のあることなのだが、薄暗い坑道の中で作業をしていて、予期せぬ場所で鉱脈にカチリと鶴嘴が当たったときのような、問題発見の喜びがあるからである。
 先週、日仏大学会館で、日本思想史における積極的無常観の起源について講演をしたのだが、その翌日、聴きに来てくれた方の一人からメールで感想をいただき、それをきっかけとして「なつかし」とノスタルジーの違いについて考え、それを拙ブログの記事にもした。それと並行して29日の発表の準備も進めていたのだが、その発表のテーマが哲学の情緒的源泉としての souffrance なのである。
 その準備作業中に、Nostalgie と souffrance とが問題として交叉することに、より正確に言えば、前者は後者の一様態であることに気づいた。そこで、両方の問題を考えていそうな哲学者たちの本をあれこれ見ていて、スタロバンスキーの L’encre de la mélancolie (Éditions du Seuil, 2012) の次の一節に行き当たった。

Il est permis de conjecturer que la nostalgie est une virtualité anthropologique fondamentale : c’est la souffrance que subit l’individu par l’effet de la séparation, lorsqu’il est demeuré dépendant du lieu et des personnes avec lesquels s’étaient établis ses rapports premiers. La nostalgie est une variété du deuil. (p. 283)

 まさに「Bingo!」である。それで気を良くして、Phénoménologie de la souffrance(受苦の現象学)という大型プロジェクトの一環として、souffrance nostalgique というテーマでしばらく考えてみようと、わくわくしているところなのである。
 これが今の「楽天的」気分の理由です。