内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「柿本人麻呂の無常観(三)― 川面にいざよう滅亡したモノノフたちの幻影

2019-06-20 17:31:14 | 詩歌逍遥

 「もののふの八十宇治川」の歌も、題詞によれば、近江より上京の途次の作である。この歌も単なる叙景歌ではない。無常観を前提としたその隠喩的表現でもない。どちら見方によってもこの歌の真価はわからない。叙景において、実景とそれに触発された感懐とが見事に融合しているのだ。
 しかし、それだけではない。この歌をさらに味わい深いものしているのは、上二句によって表現されているイメージである。「もののふの」は「八十」の枕詞、「もののふの八十」は「うじ」を導く序詞に違いないが、そう取るだけでは、「全体の上より見れば上三句は贅物に属し候」(正岡子規『歌よみに与ふる書』)といった否定的評価しかできない。ところが「もののふ」は、奈良朝までは、朝廷の官人を指し、「八十」は「多数」を意味する。「うじ」は「氏」でもある。つまり、この表現によって、かつて近江朝に官人として仕えていた多数の氏族たちが表象されている。第三・四句において、その氏族たちの幻影が網代木に遮られて滞っている波のイメージに重ねられている。そして「行くへ知らずも」と結ばれている。
 この表現技巧を明快に読み解いて見せた土橋寛の的確な評言(『万葉集―作品と批評―』)を、金井論文は、「土橋はモノノフの語感には剽悍な古代戦士の集団のイメージがあり、大化改新以後の古代豪族、特に壬申の乱に敗れた近江朝廷側の諸氏族の流転の姿がすなわちモノノフの流亡の姿として、乱に由縁の宇治川の川波に重ね合されて形象化されていると説く」とまとめている(34頁)。
 「人麻呂のいわゆる無常感は、時間認識の変革、自己の個人的な体験、近江朝興亡の史実などを酵母として、詩人の内部におのずから発酵したものである。したがって人麻呂は仏教にいう無常とは無関係に、というより別種の「無常」という「もの」を実体として感覚的に知っていた」(同頁)と金井は結語で述べている。前半には賛成だが、後半は受け入れがたい。「仏教とは無関係に」というところまではいいのだが、その後があまりにも不用意な文言である。なぜなら、無常は「もの」ではなく、ましてや実体ではありえないからである。実体であるのならば、無常は無常でありえない。
 国文学者だからといって、哲学的概念のこのような幼稚な誤用は許されることではない。文学の自律的価値を自明の前提として受け入れることは、文学を研究する者の哲学的概念に関する無知を正当化しない。