「なつかし」が失われた過去を思慕・愛惜する気持ちを意味する用例が出てくるのは中世以後である。
謡曲「二人静」の中の「昔忘れぬ心とて、さも懐かしく思ひ出の、時も来にけり静の舞」は、明らかに、「昔のことが思い出されて慕わしい」という意である。しかし、この場合も、失われた帰らぬ過去へ思いを馳せるというよりも、その過去を今も慕わしく思わずにはいられないという、過去に対する現在における自発的感情を表現しており、慕わしい過去の現前の経験と見るほうが妥当だろう。
謡曲「井筒」の「見れば懐かしや。われながら懐かしや」も、今、井戸の底の水に映る姿が、それがわが姿とは知りつつも懐かしい、ということであり、そのとき、業平の形見の装束を身に纏っている井筒の女(の霊)において、恋しい業平が再現前しているのだから、単なる失われた過去への追慕ではない。
『平家物語』「灌頂巻」の女院出家の段の「昔をしのぶつまとなれとてや、もとの主のうつし植ゑたりけん花橘の、簷近く風なつかしうかをりけるに」という箇所も、なつかしい香が、今、風にかおっているということであり、その香が過去の再現前を生起させている場面である。
いずれの場合も、現在の感覚的要因が生起させた過去への思慕の情によってその過去が現在において再賦活されている状態を「なつかし」と表現している。「なつかし」が、このように過去を愛惜することを意味している場合でも、単に過去の思い出に浸るだけの受動性ではなく、過去を今慈しむという能動性が含意されているのは、その原義がそこになお保持されているからであろう。