ようやく Le Mal et la Souffrance, II La souffrance の VI. Conclusion に辿り着いた。この結論は、一頁に満たない短い文章である。
ラヴェルは、一方で、意識の構造を円錐あるいはピラミッドのような空間的表象を使って説明し、他方で、意識の活動あるいは機能を説明するのに光を隠喩として使う。意識の頂点は、唯一の光源であり、そこからもっとも混濁した低レベルの状態まで含めてすべての意識状態が照らし出され、それらの諸状態が一つの生ける全体として意識そのものによって自覚される。その頂点において、意志は全的に活動し、私たちの生の深い意味が私たち自身に現れる。意識の諸状態がそのいずれかにとどまるかぎり、私たちの存在はそれに隷属し、振り回される。それらの諸状態がそれぞれに意味を持つのは、それらを超越し、一つの全体として組織化され、全面的に活性化された意識の光の中においてである。したがって、意識の非組織的諸状態をそれとして理解するには、意識の頂点に立たなくてはならない。
私たちがほんとうに理解できるのは、精神的存在としての私たち自身が生み出すものだけだ。そうラヴェルは考えているように思われる。だから、私たちの精神的進歩の手段そのものとして、私たち自身が精神的苦しみを生み出すから、私たちがほんとうに理解できるのはその私たち自身の精神的苦しみだけだ、と言うのだろう。しかし、それだけではない。この精神的苦しみは、光となり、他のすべての苦痛を、そのもっとも冥闇で耐え難いものまで、照らし出す、とも言う。
以下、結論でのラヴェルの所説を最後まで示しておく。
個々の人間、そして人類全体は、諸段階を経て、私たちの肉体的限界を示すだけの身体的苦痛から、精神的な苦しみへと進む。精神的な苦しみは、身体的苦痛を抹消してくれるわけではないが、少なくともその意味と価値を見分けられるようにしてくれる。
人類の歴史がこれまでに経験してきた苦痛の総量を思うとき、私たちは恐れ慄かずにはいられない。しかし、そのそれぞれにおいて、意識全体の運命が賭けられていたのだ。それらの苦痛が人間の意識を現在の精神的水準にまで高めてくれたのだ。
それぞれの存在にとってもっとも美しい勇気とは、苦痛から目を背け、逃れようとはせずに、それに同意し、それを引き受けることだ。なぜなら、それぞれの存在は、さまざまな苦痛によって形成されており、それらを我がものとすることなしにそれらを考えることはできず、今もなお苦痛に曝されており、誰一人この世界で孤独ではなく、世界に生じるすべての善悪はそこに生きるすべての人々に影響をおよぼすからである。
この苦難の道を歩むことによって、意識は成長する。より繊細になり、深くなる。自らの浄化・純化と精神的な解放を追い求める。