内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「放り居て 我が恋ふる君」、「我が黒髪に 霜の置くまで」― 相聞の如き挽歌、挽歌の如き相聞

2019-03-09 16:39:10 | 読游摘録

 まず、天智天皇崩御に際してある婦人(たをやめ)が詠んだ挽歌を読もう。

うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 放り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣ならば 脱ぐ時もなく 我が恋ふる 君ぞ昨夜の夜 夢に見えつる (巻第二・一五〇)

 題詞「天皇の崩りましし時に、婦人が作る歌一首」から切り離し、この長歌そのものだけを読むとき、移ろう人間の世界と永遠なる神々の世界との隔絶を表現している初二句「うつせみし 神に堪へねば」を除けば、遠く離れて会い難い相手を想う相聞歌として読めてしまう。「死者を死者として距離をとって歌うのではなく、死者をかきくどき、呼び戻そうとするかのような歌いぶりである」(末木文美士「『万葉集』における無常観の形成」、『日本仏教思想史論考』一七五頁)。
 他方、相聞歌の中には、絶望的に遠く離れた場所に居る想い人をいつまでも待ち続ける女心を詠んだ歌がある。

ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに(巻第二・八七)

 激しい嫉妬心の持ち主として名高い磐姫(仁徳天皇の皇后)作とされる巻第二冒頭四首のうちの第三首。伊藤博によれば、「磐姫の実作ではなく、持統朝頃の歌人が、新旧さまざまな歌を、煩悶―興奮―反省―嘆息の起承転結の心情展開に組み立て連作」である(角川文庫版『新版 万葉集一』脚注)。この歌は相聞歌としてしか読めないとしても、遠く離れて会えない相手を想うその想い方と肉体を離れ遠ざかる死者の魂を想う先の挽歌の想い方との間には、断絶よりも連続性が感じられるとは言えないであろうか。

素朴に魂の実在が信ぜられていた古代にあって、死とは魂が肉体を離れていずこへか行くことであり、従って死者への呼びかけが遠く離れた恋人への呼びかけとそれ程大きく異ならなかったとしても不思議はない。愛する者の死は不可逆的な時間の流れの中で過ぎ去っていくものとして捉えられるよりも、空間的に遠く会えない所へ離れてしまうという意識で捉えられたのではなかったか。(末木書一七六頁)

 しかし、死者の記憶は、やがて生者の間にあって薄れゆき、忘れられていく。別離の悲しみもやがて。この意味での時間の不可逆的性は初期万葉においてすでに自覚されている。

人はよし思ひやむとも玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも(巻第二・一四九)

 この倭大后(天智天皇皇后)の歌は、そのような世間一般の忘却へと向かう時間の不可逆的な推移を自覚しつつ、それとの対比において、自分は亡き天皇のことが忘れようにも忘れられないという「孤愁の嘆き」(伊藤博『萬葉集釋注』)を切実に表現している。