内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

行動以前の魂の揺らぎ ― ジルベール・シモンドンを読む(101)

2016-06-19 07:38:32 | 哲学

 今日読むのは昨日の箇所に続く以下の一節。

Le fluctuatio animi qui précède l’action résolue n'est pas hésitation entre plusieurs objets ou même entre plusieurs voies, mais recouvrement mouvant d'ensembles incompatibles, presque semblables, et pourtant disparates. Le sujet avant l’action est pris entre plusieurs mondes, entre plusieurs ordres ; l’action est une découverte de la signification de cette disparation, de ce par quoi les particularités de chaque ensemble s'intègrent dans un ensemble plus riche et plus vaste, possédant une dimension nouvelle. Ce n’est pas par dominance de l’un des ensembles, contraignant les autres, que l’action se manifeste comme organisatrice ; l’action est contemporaine de l’individuation par laquelle ce conflit de plans s’organise en espace : la pluralité d’ensembles devient système (211).

 最初に出てくる « fluctuatio animi » というラテン語は、スピノザ『エティカ』第三部第十七命題の注解に出てくる言葉で、そこでは、悲しみと喜びのように相対立する感情間の「魂の揺らぎ」を指す。しかし、ここでは、別の意味で使われている。
 以下は上掲引用箇所のおよその訳である。
 魂の揺らぎとは、決断された行動に先立つ、複数の対象間での、あるいはむしろ複数の方途の間での躊躇いではなく、ほとんどそっくりだが一致はしていない共存不可能な複数の全体(あるいは集合)同士が互いに重なり合って定まるところがない状態のことである。行動以前の主体は、複数の世界、複数の秩序の間に捕らえられている。行動は、それら差異を有した複数の要素間に意味を見いだすことである。つまり、それによって各全体の特異性がより豊穣で広大な全体の中に統合され、その全体が新しい次元を有することになるような意味を見いだすことである。行動がそのような統合化因子として出現するのは、既存の複数の全体のうちの一つがその他を圧して支配することによってではない。行動は、個体化と同時的であり、この個体化によって複数の面の葛藤が一つの空間として組織される。複数の全体はそこでシステム化される。