内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

現実の中での自発的な個体発生の可能性 ― ジルベール・シモンドンを読む(86)

2016-06-02 03:25:01 | 哲学

 2013年6月2日に始めたこのブログに、昨日までの丸三年間、一日も休むことなく記事の投稿を続けることができた。それを可能にする諸条件が恵まれたことを幸いに思う。今日から四年目に入る。たとえわずか数行しか書けない日があっても、とにかく毎日書き続けていきたいと思う。

 昨日の続きで、同じ段落を最後まで読む。今日読む箇所に « information » と « individuation » という二つの概念が同時に登場する。原文をまず見てみよう。

Une telle propriété, qui indique l’existence d’un processus d’information au cours d’une opération d’individuation, ne fait pas partie de la systématique des genres et des espèces ; elle indique d’autres propriétés du réel, les propriétés qu’il offre lorsqu’on le considère relativement à la possibilité des ontogénèses spontanées qui peuvent s’effectuer en lui selon ses propres structures et ses propres potentiels (p. 158-159).

 昨日の記事の中で取り上げた同時晶出という化学現象に見られる特性は、個体化作用が実行されている間に一つの « information » 過程が存在することを示している。したがって、この特性は、固定的・非時間的的な〈類-種〉概念からなる分類法には馴染まない。
 この文脈で « information » を「情報」とは訳せないことは明らかであろう。この語の原義に忠実に、「形を与えること」「形を成すこと」「形に成ること」という意味を込めて、「形成」と訳すほうがより適切ではあるだろう(« information » の訳の問題は、この連載の中でもすでに何度か取り上げているが、特に4月12日13日の記事を参照されたし)。
 この意味での形成が〈類-種〉関係に馴染まないのはなぜか。それは、現実の個体化過程を通じて形成された種々の形を固定的な階層からなる分類法に当てはめることは、現実の現象に対して本末転倒だからである。つまり、〈類-種〉関係によって現実に存在する形態相互の関係が説明されるのではなく、現実に生成しつつある形態相互の重層的な構造から〈類-種〉という関係概念が一定の抽象化の手続きを経て構成されうるにすぎない、ということである。
 同時晶出という化学現象は、〈類-種〉関係には還元され得ない現実の別の特性を示している。その特性は、現実の中でその現実固有の構造とそれ固有の潜在性にしたがって実行されうる自発的な個体発生の可能性との関係で現実を考えるときに現実によって与えられる特性である。この自発的な個体発生が「形成」(« information »)に他ならない。