内的自己対話-川の畔のささめごと

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適応理論批判 ― ジルベール・シモンドンを読む(98)

2016-06-16 11:35:31 | 哲学

 今日からILFI第二部第二章第二節 « Information et ontogénèse » 第二項 « Individuation et adaptation » を読んでいく。
 その最初の段落は、二頁を超える長い段落である。そこでの第一の論点は、十九世紀哲学の重要な一側面がそれに依拠していた当時の生物学における適応概念についての批判的検討である。シモンドンは、生物界に見られる環境への適応は、個体化の一つの相関項に過ぎず、適応が可能なのは個体化によってなのであり、適応によって個体が形成されるのではないと考える。
 以下、シモンドンによる適応概念批判の概略である。
 生物学における適応理論は、一種の質料形相論である。形相因を個体の側に置くか、環境の側に置くかで、積極的適応と受動的適応との違いが出てくるが、いずれの場合も、形相・質料からなる二元論的世界像を前提として個体と環境との間の相互関係を構想している。形相と質料との間の領域、つまり、なぜどのようにして存在は形相と質料という二元へと分節化されるのかという問いが問われるべき場所はグレーゾーンとして不問に付されたままなのである。
 適応概念を根本概念として、それを生物学よりも構造的に脆弱な分野に適応するとき、例えば、それは次のような社会ダイナミズム論をもたらす。
 環境は、個体がそれに向かって進む目的とその個体の目的志向に対立する諸力の集合とからなる。これらの諸力は、個体に対して障壁として現れ、個体のそれに対する行動がより強度を増せば、それだけ強い反応を返してくる。こう考えるとき、個体の様々に可能な行動は、己の目的に対して障壁として現れるものに対する行動として規定される。
 このようなダイナミズム論は、「力の場」(« champ de forces » )という概念を導入する。それに拠ると、個体の行動及び態度は、この力の場の裡における可能な行動及び態度として理解されうる。個体が置かれたその都度の状況は、それを形成する力の場の構造として表象されうる。
 ところが、このような学説は、生体の本質的な活動は適応であると予め想定している。なぜなら、そこでの問題は諸力間の対立として規定されるからである。つまり、主体の目的へと向かおうとする諸力と対象から発するそれを阻もうとする諸力とのせめぎあいとして規定される。こう考えるとき、問題の解決の発見とは、力の場の構造的変化であるということになる。
 このような理論には、しかし、個体とは己の裡で継起的に個体化を実行できる存在であるという観点が欠落している。ところが、力の場の構造が可変的であるためには、そのための行動原理が発見されなければならず、その原理にしたがって形成されたシステムの中にそれ以前の形態配置が統合されなければならない。それらについての新しい意味が発見されなければ、与えられたものを変えることはできない。つまり、個体が生きる空間は、単なる力の場ではないのである。