内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

個体化は緊張を弛緩させず、共存可能にする ― ジルベール・シモンドンを読む(97)

2016-06-15 09:07:21 | 哲学

 今日は12日に読み始めた段落の最後まで読む。

L’individuation résolutrice est celle qui conserve les tensions dans l’équilibre de métastabilité au lieu de les anéantir dans l’équilibre de stabilité. L’individuation rend les tensions compatibles mais ne les relâche pas ; elle découvre un système de structures et de fonctions à l’intérieur duquel les tensions sont compatibles. L’équilibre du vivant est un équilibre de métastabilité, non un équilibre de stabilité. Les tensions internes restent constantes sous la forme de la cohésion de l’être par rapport à lui-même. La résonance interne de l’être est tension de la métastabilité ; elle est ce qui confronte les couples de déterminations entre lesquels existe une disparation qui ne peut devenir significative que par la découverte d’un ensemble structural et fonctionnel plus élevé (206).

 問題に一定の解決をもたらす個体化は、安定的均衡の中にあれこれの緊張を無化することなく、準安定的均衡の中にそれら緊張を保つ。個体化は、緊張を共存可能にすることであって、それを弛緩させることではない。個体化は、緊張がそこで共存可能になる構造と機能とをもったシステムを見出すことである。生体の均衡は、準安定的均衡であり、安定的均衡ではない。内的緊張は、存在のそれ自身に対する凝集性という形を取り、その絶え間ができることはない。存在の内的共鳴とは、準安定性が保持している緊張のことである。この内的共鳴は、その間に差異・対立・乖離がある対限定を成す諸項を相互に対質させるが、この差異・対立・乖離が意味を持つのは、より高次の構造的・機能的全体を見出すことによってのみである。
 一応このように上掲の引用を訳したが、この箇所について二点指摘しておきたいことがある。
 一点は、「緊張」と訳した原語は、最後の使用箇所を除き、すべて « les tensions » と定冠詞+複数になっていることである。それゆえ、一種の曖昧さが伴う。文脈からして、緊張関係にある対立する二項あるいはそれ以上の項をその緊張関係のままに共存可能にすることがここでのテーマであるはずだが、この引用箇所だけを読めば、複数あるすべての緊張関係間の共存可能性という意味にも取れる。緊張関係にある関係項の共存可能性という前者の意味は、緊張関係間の共存可能性という後者の意味を必ずしも排除しないが、両者は次元を異にする二つの別の問題のはずである。最後だけ « tension » と無冠詞・単数であるのは、形容詞的に使われているからである。つまり、存在の内的共鳴は準安定性という緊張状態にある、ということを意味している。
 もう一点は、「対限定」と訳した « couples de déterminations » に関わる。医学・生理学で二つの網膜上の視像の差異を意味する 「網膜歪覚」(« disparation »)という術語が、ここではその意味が拡張・一般化されて、二つの異なった要素が対を成し、一つの全体を形成している場合すべてを指している。ここにも、上記の「緊張」概念の使用と同様な曖昧さがある。内的共鳴とは、ILFIの個体化論全体の所説からして、少なくとも第一義的には、一つの対限定を形成する何らかの対立関係にある二つの限定項間のその対立関係をより高次な統一性において保持することである。ところが、この箇所だけを文法的に忠実に読めば、複数の対限定の間に « disparation » があるということになる。一つの対限定を構成する二項間の統一性は、複数の対限定間の統一性を必ずしも排除しないが、前者から後者を必然的帰結として導くことはできない。両者は次元を異にする問題のはずである。
 この二つの異なった次元の関係という問題について、シモンドンのテキストに沿ってその解答を示す準備は今はまだできていないが、シモンドンの個体化理論から離れて自由に考えるとき、解決の一つの手掛かりになると思われるのは、フラクタル構造である。