内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

行動を妨げるもの ― ジルベール・シモンドンを読む(100)

2016-06-18 07:36:08 | 哲学

 今日も同じ段落の続きを読んでいく。今日から何回かに分けて、残りの部分を数行ずつ細切れにして、それぞれに意訳か多少のコメントを加えながら終わりまで読んでいくことにする。
 今日読む箇所には、生きられる空間内に現れる障壁・障害(obstacle)についての考察が示されている。

L’obstacle n’est que bien rarement un objet parmi des objets ; il n’est généralement tel que de manière symbolique et pour les besoins d’une représentation claire et objectivante ; l’obstacle, dans le réel vécu, est la pluralité des manières d’être présent au monde. L’espace hodologique est déjà l’espace de la solution, l’espace significatif qui intègre les divers points de vue possibles en unité systématique, résultat d’une amplification. Avant l’espace hodologique, il y a ce chevauchement des perspectives qui ne permet pas de saisir l’obstacle déterminé, parce qu’il n’y a pas de dimensions par rapports auxquelles l’ensemble unique s’ordonnerait (211).

 障壁や障害とは何かを考えるとき、その他の諸対象とはっきり区別されかつそれらの間に置かれた何らかの特定の対象が私たちの行動を妨げる場合を思い浮かべることが多いのではないだろうか。
 ところが、シモンドンはそれとはまったく違った定義をそれに与える。以下、引用箇所の意訳である。
 障壁・障害といったもは、実はめったにはっきりとした対象としては現れない。そうであるかのように表象されるときがあるのは、通常象徴的な仕方でしかなく、そのようにはっきりと対象化した仕方で示す必要がある場合に限られる。実際に生きられている現実の中では、障壁・障害とは、世界に現前する仕方が複数あることそのことなのだ。情報伝達経路がすでにはっきりと形成されている空間は、すでに問題解決をもたらす空間である。つまり、システムとして統一された多様な可能的視点が統合された有意的空間である。このような空間は、増幅の結果として得られたものである。ところが、このような情報伝達経路が確立された空間が形成される以前には、いくつもの視角が重なり合い、その重なり合いがはっきりと限定された障壁・障害の把握を困難にしている。なぜなら、そのような状態には、唯一の全体がそれらとの関係で秩序づけられるような諸次元がないからである。
 一言で言えば、私たちの行動を妨げているのは、実のところは、いわゆる障壁でも障害でもなく、複数の視点が統合化されずに重なり合ったままで、解決すべき問題がそれとして定式化され得る空間組織ができていないことである。