城郭探訪

yamaziro

田上山砦 近江国(伊香郡・木之本)

2014年04月16日 | 平山城

JR木之本駅

意冨布良(おほふら)神社脇の登城口 南郭の【田上山城跡】主郭の現地説明板より

所在地:長浜市(旧伊香郡)木之本町大字黒田   map:http://yahoo.jp/ITJx2G                                                                                

別  名:木之本城

区   分:山城(砦)

築   城:天正11年(1583)

城   主:羽柴秀長

遺  構:虎口・竪堀・馬出城

 城 域:380m×130m

標 高:323m  比高差200m

二十八番札所「成相寺」の聖観音

中腹まで、林道が整備されて5~6台駐車可

5~6台駐車可

築城年代は定かではない。元亀4年(1573年)浅井・朝倉氏と織田氏が争った元亀争乱で、朝倉氏の軍勢が田上山に布陣していたという。 

信長公記―――――巻六 元亀四年 13、刀根山合戦  刀根山の戦並に一乗谷攻破るの事

 この戦で落城した朝倉方の城塞は、大嶽・焼尾・月ヶ瀬・丁野山・田部山をはじめ、義景本陣の田上山や疋田・敦賀・賎ヶ岳の各城など数多にのぼった。また若狭で織田勢に味方していた粟屋越中の城に対して築かれた十ヶ所の付城にいた兵たちも退散した。

天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦では羽柴秀吉方の砦として秀吉の弟羽柴秀長が布陣し、秀吉方の本陣的な役目を果たした。

田上山砦は、田上山(標高323m)の山頂付近に築かれ、比高200mほどの山頂からは北国街道を眼下に押さえ、秀吉軍の諸将が布陣する中でも最も南方に位置し、後方に布陣する秀吉の本陣・木之本地蔵(浄信寺)をも守備する役目も担っている。

 北国街道木之本宿から30分ほど山道を登ると山頂の主曲輪に着く。

 砦は主曲輪を中心として、Y字型の尾根に曲輪が配置されている。登ってきた南側斜面には防御施設はないが、柴田軍と対峙している東側尾根の曲輪と本丸跡の間には竪堀を穿ち、曲輪の東には虎口を備え、虎口前面には角馬出が設けられている。
また、西側尾根の曲輪の先には、土塁による虎口と竪堀の見られる。

 現在でも木々の間から、賤ヶ岳、堂木山、明神山、行市山などが一望でき、賤ヶ岳の戦いの特徴として、山岳戦でありながらほとんどの砦から敵味方の状況が把握できる。

城 域に

南郭へ(南堀切・虎口)

虎口武者隠し

田上山砦は標高323mの田上山山頂に築かれており、山頂の主郭を中心として南郭、西郭、北郭、北外郭から成る。

主郭は山頂にあって周囲に土塁が巡り、北と西に虎口を開く。西虎口は平入で西曲輪へ続く尾根道は北側に土塁が付いている。北虎口は北郭との間に土橋が架かる堀切があり、虎口の西側の土塁がやや広く、土橋は少し東側へ回り込むように付いている。

南郭は、主郭の南に隣接して周囲に土塁が巡り、西に虎口を開く。南西隅が入隅となって横矢がかかる。

北郭は主郭と土橋で繋がり、北に虎口を開く。北虎口は角馬出で、堀切に土橋が架かり、外側に土塁を設けて馬出しとしている。北郭を出るとなだらかな広い空間が北へ続いているが、ここが外郭で100m余り北へ進むと虎口が付いている。この虎口は屏風折れの土塁の中央に開口部があり、外側にL字の土塁を設けて外桝形としている。

主郭の西虎口を出て西尾根に進むと西郭がある。西郭は南西に虎口があり、虎口の北側が西へ張り出している。その外側は緩斜面であるが、その先に土橋が架かる空堀が付いている。

主郭へ

虎口北郭への土橋北郭への土橋

歴  史

田上山砦は、天正11年(1583)4月羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いに際し、秀吉の弟羽柴秀長が構築し、1万5千人の兵を率いてこの地に布陣した。

 越前から江越国境を越え北国街道を南下しようとする柴田軍に対し、北国街道の隘路である余呉で食い止めようとする秀吉軍にとって、北国街道沿いの東野山砦・堂木山砦・神明山砦が第一防御線、岩崎山砦・大岩山砦を第二防御線、田上山砦は賤ヶ岳砦と共に最終防御線となる。

 また、田上山砦は木之本から柴田勝家と同盟結ぶ信長の三男信孝の居城・岐阜城に至る北国脇往還道、および長浜城に続く北国街道を押さえる位置にある。

 佐久間盛政の大岩山砦の襲撃に端を発した賤ヶ岳の戦いは、秀吉の“大垣大返し”と柴田軍の前田利家・利長父子の寝返りによって秀吉軍の勝利に終わった。

賤ヶ岳の戦いが終わると同時に、田上山砦は陣城としての役目を終え、人々の記憶から忘れらた。

北郭へ

西郭へ

 

主郭で記念写真!

北外郭へ

外郭に北虎口

木之本地蔵院は秀吉の本陣!

地蔵院庭園から田上山城(遠景)

秀吉

明治天皇木之本行在所

明治11年(1878年)の明治天皇北陸行幸の際に、木之本地蔵院が行在所(休憩・宿泊するための仮の御所)となっている。
滋賀県 長浜市 木之本町木之本 944

玉座

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、現地説明板(長谷川博美氏:作図・説明文)

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!


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