城郭探訪

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村嶋支城  近江国(甲南)

2014年11月17日 | 丘陵城

お城のデータ  所在地:甲賀市甲南町柑子字向川  (旧甲賀郡甲南町柑子字向川)  map:http://yahoo.jp/pBu2mm

現 状:森林 

区 分:丘城 

標 高:250m 比高差:30m

築城期:南北朝期:明応年間(1492-1501)

遺 構:曲輪・土塁・横堀・堀切・土橋

築城者:望月重元

城 主: 望月重武

目 標:柑子公民館

駐車場:柑子公民館駐車場

訪城日:2014.11.3 2014.11.13

 

堀切a

お城の概要

 柑子集落(柑子会議所)の東の丘陵の頂部に位置し、山麓から比高30mをはかる。

浅野川を渡り、小字向川の北側の家屋の倉庫の南に登城道がある。BSアンテナを目安に、少しも登ると「堀切a」、そのまま登ると祠を祀る。(祠への参道を)!ここまでは、綺麗に整備されている。

更に竪堀城平削地が連なり、祠の南に平削地Ⅰ、「横堀状のb」を設けるが途中で途切れる。

祠の東側に進むと巾5m程の南へ「平削地Ⅱ」が40m程続く。深い堀切cで東側を遮断。城域から進むと自然地形の南へ80m程続く。戻り、最高所より東に巾10m程自然地形の北東に迂回して下山した。支城の東側の南北に武者溜りの用な底曲郭跡を連想される。

左支城背後の最高所(二等三角点の石碑があった)右が村嶋支城

堀切a

堀切C

歴 史 

  望月村嶋城主 望月村島守重元の次男重武の居城であった。  【佐々木南北諸士帳】に糀村城主 佐々木随兵 望月刑部左衛門  糀村城主 箕作随兵 望月出雲守の名が見える。

甲賀五十三家は、「鈎の陣」にて六角氏に味方した甲賀の地侍五十三家のことであり、後の甲賀流忍術の中心となった家々である。

  • 望月家- 筆頭格。一族の著名人物として望月出雲守・望月吉棟・望月兵太夫・望月与右衛門がいる。望月出雲守の旧居が甲賀流忍術屋敷として残る。

登城口の手前の民家

村嶋支城・・・遠景(柑子会議所より)

 

望月氏

望月の由来ともなった「望月の牧」を始めとする御牧は、古く奈良時代から産する馬を朝廷に送られており、これらの産駒は途中の近江国甲賀付近で休養や調教(飼養牧)を行っていた。

 望月氏と甲賀の地は古より関係があり、平安時代には平将門の乱で武功があったとされる望月三郎兼家(諏訪氏の出自との説もあり。尚、三郎は望月家嫡男に多い幼名であり、三男を意味しない)が朝命により赴任し、近江国甲賀郡主となり十六ヶ村を贈った。これが甲賀望月の祖である。

 恩賞として その後、信濃の望月氏の支流が甲賀の地で独自に武士団へと発展し、戦国時代には、後に甲賀忍者と呼ばれる甲賀五十三家の筆頭格に数えられ、伊賀の「服部氏」、甲賀の「望月」と称されるようになる。望月出雲守が望月城(現:甲賀市)を築城するなどの記録が残されており、望月出雲守屋敷跡は現在甲賀流忍術屋敷となっている。

【佐々木南北諸士帳】に糀村城主 佐々木随兵 望月刑部左衛門  糀村城主 箕作随兵 望月出雲守の名が見える。

甲賀五十三家(こうがごじゅうさんけ)は、「鈎の陣」にて六角氏に味方した甲賀の地侍五十三家のことであり、後の甲賀流忍術の中心となった家々である。

  •  望月家- 筆頭格。一族の著名人物として望月出雲守・望月吉棟・望月兵太夫・望月与右衛門がいる。望月出雲守の旧居が甲賀流忍術屋敷として残る

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城 、 日本城郭大系  

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