城郭探訪

yamaziro

探訪 小堤城山城 近江国(野洲)

2012年01月17日 | 平山城

主殿の郭(説明板と縄張図)

現地案内板より

探訪 小堤山城

主殿の東尾根の郭石垣(南面下)

東尾根の郭石垣(北西面下)

 

小堤城山城(こづつみしろやまじょう)は、六角氏家臣の永原氏により、

15世紀末頃に築かれたと思われる。


野洲郡東部は、蒲生郡の馬淵氏の勢力下であったが、16世紀初頭からは馬淵氏の家臣であった永原氏がこの地域で勢力を築いた。

そして、大永年間(1521~28)頃からは守護六角氏と直接主従関係を結ぶに至った。

軍事的には六角氏の中で中心的存在で、行政面においても前代の馬淵氏の郡奉行としての権力を継承する形で野洲郡全体に影響力を保持した。
 小堤城山城の記録を残す文献は乏しいが、「永原上下の城」や「長原上の城」などの記述が見られ、「永原上の城」は小堤城山城を指し、「永原下の城」は上永原城を指すものと思われる。


小堤城山城は、六角氏家臣クラスの山城としては規模も大きく、石垣の構築箇所の多さでも他の六角氏家臣の山城から群を抜いた存在である。

 さらに、織田氏の近江支配時代には野洲郡を領した佐久間信盛も在城したようです。
『「現地(主郭跡)説明板」、「近江の山城 ベスト50を歩く・中井均著(サンライズ出版刊)」他参照』

 

 所在地:野洲市小堤  マップ:http://yahoo.jp/bqsQ1F

小堤城山城跡(こづつみしろやまじょうあと)

 築城者:永原氏

築城期:大永年間

訪城日:2012.1.17

小堤城山城は、野洲郡と蒲生郡を隔てる鏡山(かがみやま)山系、標高280mの城山(しろやま)(比高差200m)の尾根上にある城郭で、15世紀末に永原(ながはら)氏が築いたとされています。城は、北側の麓に走る旧中山道(なかせんどう)、そして野洲郡全体、さらには甲賀郡北西部までをも見下ろす位置にあります。永原氏は、六角氏の家臣馬淵(まぶち)氏の被官(ひかん)でしたが、文亀(ぶんき)2年(1502)の守護代伊庭(いば)氏の反乱を契機に、馬淵氏から独立し、野洲郡で勢力を伸ばし、16世紀前半の大永年間ごろからは、近江守護六角氏と関係を持つようになり、大きな軍事力を背景とし、奉公人として活躍します。永原氏は、普段は野洲市上屋(かみや)の永原城に居住し、在地の支配を行っていました。

小堤城山城は、有事の際に立籠(たてこも)り戦う詰城(つめじろ)として、整備された城郭と考えられます。 小堤城山城跡は、近江南部では、最大規模の中世城郭で、山頂部と北西の山腹、尾根上に築かれた郭群により構成されます。山頂部の郭群(くるわぐん)が立地の制約からか、面積が狭いのに対し、中腹部の郭は面積も広く、石垣を多用する等、居住性や防御性(ぼうぎょせい)を高めた構造となっています。中腹の郭群の中でも最も広い郭に用いられている石垣石材は、他の郭の石材よりも特に大きく、この郭の機能が他の郭と異なり、城の中心をなしていたことを示しています。
 一般に城郭に石垣が多用されるのは、16世紀後半の安土城からとされていますが、この城の石垣は、安土城より古い時代のものであり、六角氏の有力家臣永原氏の城郭という歴史性に加え、城郭構造の変遷を考える上でも重要な城郭です。

本日も訪問、ありがとうございました。


最新の画像もっと見る