城郭探訪

yamaziro

青木城  近江国(甲南)

2014年11月14日 | 戦国山城
⇒の反対側の坂道を登る
お城のデータ 
 
所在地:甲賀市甲南町柑子小字太平・六反田  (甲賀群甲南町柑子小字太平・六反田)  maphttp://yahoo.jp/mBqU4y
 
別 名:望月青木城・青木城 
 
現 状:森林
 
区 分:丘城
 
標 高:250m 比高差:30m

築城期:南北朝期:明応年間(1492-1501)

遺 構:曲輪・井戸・石碑・説明板

築城者:望月重元

城 主: 望月重武

主 郭:50m×30m(囲い土塁無し)・・・詰め城カ

目 標:柑子公民館・望月青木城説明板

駐車場:説明板横の空地路上駐車・柑子公民館駐車場

訪城日:2014.11.3 2014.11.13

 近世の開墾畑・宅地跡

お城の概要
 
望月青木城(柑子村城)は、望月村嶋城と同じ丘陵にあり、北端部に築かれている。
最高所に主郭があり、「青木城先祖之碑」が建っている。
現在の通路は北西側にあり、主郭の東下から北側を周り、北西側から登る通路が設定され、高い切岸によって防御している。  
 
伊賀中世城館調査会の踏査では、村嶋城まで、長く尾根上に遺構が描かれている!

東麓に案内板が出ており、西の坂を登ると城道が付いている。

横矢土塁曲郭井戸カ(落とし穴カ?)
  
歴 史
 
望月村嶋城主 望月村島守重元の次男重武の居城であった。  
【佐々木南北諸士帳】に糀村城主 佐々木随兵 望月刑部左衛門  糀村城主 箕作随兵 望月出雲守の名が見える。

甲賀五十三家は、「鈎の陣」にて六角氏に味方した甲賀の地侍五十三家のことであり、後の甲賀流忍術の中心となった家々である。

  • 望月家- 筆頭格。一族の著名人物として望月出雲守・望月吉棟・望月兵太夫・望月与右衛門がいる。望月出雲守の旧居が甲賀流忍術屋敷として残る。
 
北西の曲郭
 西側の虎口より主郭へ
 
主郭(頂部を平削し)・・・曲郭を囲む、土塁無し?主郭の石碑と駒札 

主郭の石碑と駒札

南側の尾根に削平地は、矢竹で確認出来ず!

西側の切岸(自然地形カ) 北西の小曲郭

北の曲郭

 

城郭虎口手前の屋敷跡・・・近世の宅地跡カ?往時の館跡カ?

庭石カ井戸カ井戸

柑子村城(青木城)・・・遠景(村嶋支城の近くより)

望月氏

望月の由来ともなった「望月の牧」を始めとする御牧は、古く奈良時代から産する馬を朝廷に送られており、これらの産駒は途中の近江国甲賀付近で休養や調教(飼養牧)を行っていた。

 望月氏と甲賀の地は古より関係があり、平安時代には平将門の乱で武功があったとされる望月三郎兼家(諏訪氏の出自との説もあり。尚、三郎は望月家嫡男に多い幼名であり、三男を意味しない)が朝命により赴任し、近江国甲賀郡主となり十六ヶ村を贈った。これが甲賀望月の祖である。

 恩賞として その後、信濃の望月氏の支流が甲賀の地で独自に武士団へと発展し、戦国時代には、後に甲賀忍者と呼ばれる甲賀五十三家の筆頭格に数えられ、伊賀の「服部氏」、甲賀の「望月」と称されるようになる。望月出雲守が望月城(現:甲賀市)を築城するなどの記録が残されており、望月出雲守屋敷跡は現在甲賀流忍術屋敷となっている。

【佐々木南北諸士帳】に糀村城主 佐々木随兵 望月刑部左衛門  糀村城主 箕作随兵 望月出雲守の名が見える。

甲賀五十三家(こうがごじゅうさんけ)は、「鈎の陣」にて六角氏に味方した甲賀の地侍五十三家のことであり、後の甲賀流忍術の中心となった家々である。

 望月家- 筆頭格。一族の著名人物として望月出雲守・望月吉棟・望月兵太夫・望月与右衛門がいる。望月出雲守の旧居が甲賀流忍術屋敷として残る。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城 、 日本城郭大系  

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