城郭探訪

yamaziro

宇津呂(うつろ)館 近江国(近江八幡)

2014年09月04日 | 居館


 宇津呂館周辺(公禮八幡宮)

お城のデータ

所在地:滋賀県近江八幡市中村町   町 map:http://yahoo.jp/npX4Y2

現 状:神社、集落

区 分:平城

遺 構:堀痕、

築城者:京極貞高

築城期:鎌倉期 

城 主:宇津呂貞高(京極貞高)・宇津呂秀定

目標地:八幡公民館

駐車場:八幡公民館無料駐車場

訪城日:2014.9.3

お城の概要

館は、現在の中村町八幡神社から、公禮八幡宮にかけてのあたりにあったものと考察。

遺構は公禮八幡宮の裏に堀痕が、他は秀次の城下町の整備・近年の住宅化・小学校敷地等、城跡遺構は確認できず、公禮八幡宮門前で若干落ち込む地形になっている。これを利用した築城になっていたのでは。

歴 史

 京極氏一族とされる宇津呂氏累代の居館。中村町の小字「大殿」があり、「近江蒲生郡誌」に、宇津呂貞高・秀定の名がみえる。

近江源氏佐々木氏は京極氏と六角氏・高島氏大原氏に分かれているが、宇津呂氏は京極氏の一族であり、この地を領して京極貞高)はじめて宇津呂氏(宇津呂貞高)を名乗った。

 

公礼八幡神社

城郭とは無関係だが、

宇津呂町に通称を呉宮(くれみや)と呼ぶ神社がある。

現在この摸本が東京国立博物館所蔵となっているが、なぜ本画像がここにあったのかはわからない

ただ、古代近江と水運との密接な関係は否定し難いから、遣唐使という航海技術を必須とする事業に参加して成功を収めた人物として祀られたものであろうか。公礼は呉だろうし、この神社は呉長丹(くれ ながに)こと吉士長丹(きしの ながに)を祀ったと・・・「近江八幡の歴史 第六巻より」

八幡公民館に駐車 

近江八幡の城マップ

近江八幡市内の主な城跡

1八幡山城宮内町 12久郷屋敷西宿町 23馬渕城 馬渕町
2浅小井城浅小井町 13倉橋部城 倉橋部町 24牧村城牧町
3宇津呂館 中村町 14小森城中小森町 25円山城円山町
4岡山城(水茎館)牧町 15金剛寺城(金田館)金剛寺町 26安土城下豊浦
5沖島尾山城沖島町 16田中江城 田中江町 27観音寺城(佐々木城)石寺、宮津
6沖島頭山城沖島町 17谷氏館(友定城) 友定町 28香庄館香庄
7沖島坊谷城沖島町 18 長光寺(瓶割城)長光寺町 29金剛寺城 慈恩寺
8長田城長田町 19西宿城 西宿町 30常楽寺城(木村城)常楽寺
9小田城(高畠氏館)小田町 20野村城野村町 31平井館下豊浦
10北津田城北津田町 21船木城 船木町  
11北之庄城北之庄 22本郷城(久里城) 金剛寺町  

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江八幡の城

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


九之里(くのり)氏館(本郷城)  近江国(近江八幡)

2014年09月04日 | 居館

城址説明板があった。

里氏館跡

この付近一帯を九里村と称していました。明治初年の廃藩置県(誤記訂正)により金剛寺村と改称しました

「九里」という名称は古くから、(鎌倉時代)当地に住んでいた豪族で九里氏より付けられたと言われています

九里(くのり)氏は藤原氏の流れと伝えられ享徳二年(一四五二年)東大寺文書に記録では伊庭氏の又代官九里冶任の名が残っています

明応七年(一四九八年)金剛寺居館の佐々木六角の臣九之里三郎右衛門高雄が伊賀守形部少輔と名乗り岡山村牧の岡に移封されたが当地の館はそのまま所領となる

大永三年(一五二三年)牧の岡城にいた伊庭九里の両氏は佐々木氏反抗同年十二月二十日佐々木の居城である観音寺城に進まんとしたが城兵が黒橋に出て防ぎ両軍血戦の結果伊庭氏九里氏(九里三重朗)は戦死いたが九里村が残りました

常夜塔

現在地には伊勢参拝の要所として江戸時代に(天保十一年)常夜塔「角屋前」と称した燈籠が建てられましたが近年の交通事待により金剛寺町児童公園に移築されました 

平成六年三且吉日   金剛寺町まちづくり委員会

 金剛寺児童公園へ移築されたの常夜塔

お城のデータ

所在地:近江八幡市金剛寺町 map:http://yahoo.jp/V3iW3Y

別 名:本郷城

現 状:神社、集落

区 分:平城

遺 構:堀痕、土塁痕

築城者:九里冶任

築城期:室町期 享徳二年(一四五二年)東大寺文書に記録

城 主:九里高雄

目標地:旧金田公民館

駐車場:旧金田公民館無料駐車場

訪城日:2014.6.15、2014.9.3

お城の概要

 之里氏館跡「現地説明板」この付近一帯を九里村と称していました。明治初年の廃藩置県(誤記訂正)により金剛寺村と改称しました。

「九里」という名称は古くから、(鎌倉時代)当地に住んでいた豪族で九里氏より付けられたと言われています。

集落内は、新・旧住宅が混在し、近年住宅の建て替え激しく、また新規宅地造成が急増しています。

新規宅地造成や金田小学校の建て替えで、遺構の発掘調査「金剛寺・金剛寺城遺構」も済んでいます。

旧九里村に、九里氏の居城があった。西本郷に御屋敷の地名が残る。

歴 史

之里氏館跡

この付近一帯を九里村と称していました。明治初年の廃藩置県(誤記訂正)により金剛寺村と改称しました

「九里」という名称は古くから、(鎌倉時代)当地に住んでいた豪族で九里氏より付けられたと言われています

九里氏は藤原氏の流れと伝えられ享徳二年(一四五二年)東大寺文書に記録では伊庭氏の又代官九里冶任の名が残っています

明応七年(一四九八年)金剛寺居館の佐々木六角の臣九之里三郎右衛門高雄が伊賀守形部少輔と名乗り岡山村牧の岡に移封されたが当地の館はそのまま所領となる

大永三年(一五二三年)牧の岡城にいた伊庭九里の両氏は佐々木氏反抗同年十二月二十日佐々木の居城である観音寺城に進まんとしたが城兵が黒橋に出て防ぎ両軍血戦の結果伊庭氏九里氏(九里三重朗)は戦死が九里村が残りました。「現地説明板より」

 

室町幕府と六角氏
 その後、室町時代中頃の応永十五年(1408)に、歓雅が天台宗の寺院として芦原観音寺を中興しました。

現在の観音寺は、この歓雅を初代住持としています。享徳二年(1453)9月23日には、八代将軍足利義政が「普勧寺末寺」である観音寺の寺領を安堵しています。

観音寺の本寺とされる普勧寺は初め京都にありましたが、のちには芦浦に寺基を移し普勧寺の了忠が、観音寺の住持を兼任したと考えられます。

 明応元年(1492)12月23日、南近江を支配していた六角氏の臣、九里氏の手兵300人が、観音寺を襲撃し財物を略奪する事件が起こりました

前年に、十代将軍足利義稙(よしたね)が派遣した六角征討軍に、了忠が観音寺を陣所として提供したことに対する報復だったようてす。

 

遺構の残存しそうな竹藪(民家に囲われて近寄れません)

 

旧館の鬼瓦(当主が大切に保存)本郷神社の北隣宅

本郷神社

由緒
この地は大化の改新以前より存し、当時には「九里(くのり)」と呼ばれ若宮神社を奉祀していたが、天明五年日本武尊を他所より奉遷したのを創立とする。

旧金田公民科に駐車

金剛寺町児童公園・若宮神社周辺の写真

      移設された常夜灯

 大将軍神社 

 近江八幡の城マップ
近江八幡市内の主な城跡
1八幡山城宮内町 12久郷屋敷西宿町 23馬渕城 馬渕町
2浅小井城浅小井町 13倉橋部城 倉橋部町 24牧村城牧町
3宇津呂館 中村町 14小森城中小森町 25円山城円山町
4岡山城(水茎館)牧町 15金剛寺城(金田館)金剛寺町 26安土城下豊浦
5沖島尾山城沖島町 16田中江城 田中江町 27観音寺城(佐々木城)石寺、宮津
6沖島頭山城沖島町 17谷氏館(友定城) 友定町 28香庄館  
7沖島坊谷城沖島町 18 長光寺(瓶割城)長光寺町 29金剛寺城 慈恩寺
8長田城長田町 19西宿城 西宿町 30常楽寺城(木村城)常楽寺
9小田城(高畠氏館)小田町 20野村城野村町 31平井館下豊浦
10北津田城北津田町 21船木城 船木町  
11北之庄城北之庄 22本郷城(九里城) 金剛寺町  

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江八幡の城

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


長田城 近江国(近江八幡)

2014年09月04日 | 平城
                                                                                                  

お城のデータ 

所在地:近江八幡市長田町     map:http://yahoo.jp/VVLevO

現 状:集落

遺 構:掘、土塁

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:長田氏

城 主:長田氏

目標地:長田営農組合

駐車場: 路上駐車場

訪城日:2013.4.25、2014.9.3

滋賀県中世城郭分布調査 4 旧蒲生・神崎郡の城 滋賀県教育委員会編 (滋賀県教育委員会 1986年 )

堀跡

長田町の旧公民館の跡地が長田城跡と言わてる                                                                                            

旧公民館の廻には堀殿といわれる水路が流れています。石積が4~5mほど残っていた。

長田城は、長田集落中央の「堀殿」と呼ばれる、深い水路で囲まれた長田営農組合と小公園付近が城跡とされる。

この他、集落東端にカナド(観音堂の転訛)と呼ばれ、光清寺跡とされる竹薮には水路に沿って土塁が残存し、長田城との関わりも考えられる。


歴 史  

詳細は不明

長田氏の居城とされるが、その他詳細不明。

集落の東の竹藪に、土塁が残っている。

光清寺跡の土塁

八幡山城址・北ノ庄城址遠望

天正7年5月27日浄土宗と法華宗の僧の間で宗論(安土問答)が行われた浄厳院遠望

観音寺城址遠望///安土城址遠望

西に

 

近江八幡市内の主な城跡
1八幡山城宮内町 12久郷屋敷西宿町 23馬渕城  馬渕町
2浅小井城浅小井町 13倉橋部城 倉橋部町 24牧村城  牧町
3宇津呂館 中村町 14小森城中小森町 25円山城 円山町
4岡山城(水茎館)牧町 15金剛寺城(金田館)金剛寺町 26安土城  下豊浦
5沖島尾山城沖島町 16田中江城 田中江町 27観音寺城(佐々木城) 石寺、宮津
6沖島頭山城沖島町 17谷氏館(友定城) 友定町 28香庄館 香庄
7沖島坊谷城沖島町 18 長光寺(瓶割城)長光寺町 29金剛寺城  慈恩寺
8長田城長田町 19西宿城 西宿町 30常楽寺城(木村城) 常楽寺
9小田城(高畠氏館)小田町 20野村城野村町 31平井館 下豊浦
10北津田城北津田町 21船木城 船木町  
11北之庄城北之庄 22本郷城(久里城) 金剛寺町

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました