城郭探訪

yamaziro

一円館 近江国(多賀)

2014年09月09日 | 居館

お城のデータ

所在地:犬上郡多賀町一円    map:http://yahoo.jp/wmqG_9

現 状:山林・橿原神社

遺 構:曲輪・土塁

区 分:居館

築城期:室町期

築城者:

城 主 

目標地:橿原神社

駐車場:一円公民館駐車場

訪城日:2014.9.8

居館と推定される「橿原神社」には、平安庭園が残存する。

多賀町埋蔵物センターのHPでは、一円館は城館・中世・山頂・森林としている。

 

お城の概要

一円館は、一円集落北側背後の山稜部一帯にあったとされる。

県の分布図では集落最北に鎮座する橿原神社付近から北方のダム湖までの山林が城域になっている。
山林であるため「館」ではなく「丘陵城」でもよい立地だが、館という表現なので山麓の集落内に居館を構え、詰城が山中に築かれていたのかも。

山麓の橿原神社の南側は削平地が残存するが後世のものかも。また城域の山麓付近と山頂付近探索した。

一円公民館駐車場~徒歩で「野鳥の森(ビジターセンターは近年閉館)・芹川ダムへ向かいビジターセンター北東の山に入山が?

山麓の橿原神社の南側は削平地が残存する

頂部の削平地

歴 史

『近江の顔 近江の城と古戦場』に収録されているが、詳細不明

淡海の城では、一円廃寺院跡カ?。伝承地で、現況は山林山腹。 

 

多賀氏について

 

多賀氏は、古代より多賀地方および近接の甲良地方に土着の豪族であり、多賀社を氏神にしていたと考えられる。しかし、家系図の上では公家の中原氏と結び付けられ、天武天皇皇子・舎人親王の末裔である中原真人長谷に始まる江州中原氏が、多賀社の神官を務め、多賀氏を名乗ったのが始まりであるとされている(旧説では、江州中原氏は崇峻天皇皇子・定世親王の後裔と見なされていたが、今では仮冒[他人の名を語る偽称]と判じられている)。

 

いずれにしても、多賀氏は鎌倉初期から中期にかけて多賀と甲良に勢力を張る氏族であり、室町時代には犬上郡および坂田郡にて同族間で争いながらも隆盛であった。戦国期には、甲良の下之郷城に居城した多賀高忠を始めとする幾人かの著名な武将の名が見え、織田政権下・豊臣政権下でも為政者に直仕する、堀氏と縁戚関係になるなどして有利に活動していたが、関ヶ原の戦いの際、敗軍となる石田三成方についたことが禍し、戦後、所領を没収されて没落した。

 

集落内に赤ノ井が流れる。

野鳥の森閉鎖で通行止めに。

淨厳寺跡に親鸞上人像

一円公民館きぬがさ地蔵尊 Z形の路地江戸期の屋敷が残存する

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、日本城郭体系11、近江の城郭

     本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


我孫子北城 近江国(秦荘)

2014年09月09日 | 平城

県道13号岩倉川西岸道

お城のデータ

所在地:愛知郡愛荘町東出    (旧愛知郡秦荘町東出)    map:http://yahoo.jp/invVF1

現 状: 宅地・田畑

遺 構::曲輪・土塁・堀(岩倉川)

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:村越越中守

城 主:安孫子日向守勝久・村越越中守 

目標地:リカーマウンテン(酒店)・東出信号

駐車場:県道13線 岩倉川橋付近に空地駐車

訪城日:2014.9.8

お城の概要

東出城は、岩倉川左岸(西岸)の狭い宅地・田畑部に竹藪が残存した。

岩倉川左岸(西側)沿いに、遺構の土塁が竹藪の中に残存の確認できる。

安孫子北城は安孫子氏、南に安孫子南城、さらに南に狩野(かの)城が位置し、互いに防御性は低いが、佐々木六角の随兵であった。

お城の歴史

「江州佐々木南北諸士帳」に東出村 住 佐々木随兵 村越越中守 の名が見える。

また、「大洞弁財天当国古城主名札」に東出城主として名字不知 とあり、詳細不明。 

岩倉川

西からの遠望

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、日本城郭体

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