後藤館
お城のデータ
所在地:東近江市(旧八日市市)中羽田町 map:http://yahoo.jp/XBTctB
区 分:居館
現 状:田地・宅地
遺 構:土塁・堀・石垣・説明板
築城期:室町期
築城者:後藤氏
標 高:111m 比高差:-
目標地:雪野山トンネル東側出口
駐車場:児童公園(神社御旅所)
訪問日:2013.7.6
お城の概要
中羽田集落の南東端にあって昭和58年に県指定史跡となった後藤氏館跡は、その名に見られるように進藤氏と並んで佐々木六角氏の両藤と称された後藤氏の居館跡です。後藤氏は六角氏の奉行人を務めた重臣で、永正13年(1516)の伊庭貞隆の乱の際には六角氏の家宰として活躍、これを機に、さらに権勢を高めたことから、永禄6年(1563)、後藤氏の力を恐れた時の守護佐々木義弼に賢豊父子が暗殺された「観音寺騒動」は、歴史上の重要、かつ有名な出来事です。
館跡の構造は、西辺の中程に、両側に石積みを施した幅約6mの虎口を持ち、四周に幅6~8m、深さ約1.5mの堀と、その内側に基底幅約11~15m、高さ約3mの土塁を巡らせた方形単郭に分類されるもので、規模は外周の堀跡を含めて東西が約100m、南北が東辺で約100m、西辺で約120mを測る台形状の平面形を呈しています。しかし、現状では南辺と西辺の堀は埋没し、土塁も削平され、虎口両側の石積も後世に積み直された状況で畦畔上に孤立しています。
お城の歴史
後藤館跡(滋賀県東近江市中羽田町)は、近江守護・佐々木六角氏の重臣・後藤氏の在地居館跡である。
後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、六角氏の家老の位置にあった。
十六世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄六年(1563)義賢の子・義弼に謀殺された。
これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて織田信長に滅ぼされる
『現地案内板』
賢豊の後藤氏と進藤貞治の進藤氏は「六角氏の両藤」と呼ばれる六角氏の宿老であり、賢豊は智勇に優れた武将で、六角義賢に従って浅井攻めなどに活躍した。永禄2年(1559年)、蒲生氏と共に恩賞条奉行を務める。永禄5年(1562年)、義賢の上洛に従い、大徳寺警護を務める。永禄6年(1563年)、義賢の子・六角義治の起こした観音寺騒動により観音寺城内で子の壱岐守(名は不詳)らとともに殺害された。後藤氏の家督は賢豊の次男・後藤高治が継いだ。
後藤 賢豊(ごとう かたとよ)は、戦国時代の武将。六角氏の家臣。
生涯
主君である六角義賢の偏諱を受け、賢豊と名乗った。
賢豊の後藤氏と進藤貞治の進藤氏は「六角氏の両藤」と呼ばれる六角氏の宿老であり、賢豊は智勇に優れた武将で、義賢に従って浅井攻めなどに活躍した。
永禄2年(1559年)、蒲生氏と共に恩賞条奉行を務め、永禄5年(1562年)には義賢の上洛に従い、大徳寺警護を務める。
永禄6年(1563年)、義賢の子・六角義治の起こした観音寺騒動により観音寺城内で子の壱岐守(名は不詳)らとともに殺害された。後藤氏の家督は賢豊の次男・後藤高治が継いだ。
後藤館跡
後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、六角氏の家老の位置にあった。
後藤館跡(滋賀県東近江市中羽田町)は、近江守護・佐々木六角氏の重臣・後藤氏の在地居館跡である。
十六世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄六年(1563)義賢の子・義弼に謀殺された。
これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて織田信長に滅ぼされる(『現地案内板』)。
後藤氏館跡は、周囲に基底幅約11m、高さ約3mの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造の館跡で、東西幅、東辺の長さ約100m、西辺の長さ約120mの変形四辺形プランを呈し、西辺土塁の中央部に正門が存した(『現地案内板』)。
当時の在地領主の館は、非常時に備えて土塁、板塀などの防御施設が設けられ、敷地内には主屋、納屋、蔵、厩などの建物が存した。当館跡の建物配置は定かでないが、昭和五十六年の発掘調査で井戸跡、厠跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内北部中央付近に存したと推定される(『現地案内板』)。
六角重臣の居館跡ということだが、水田にぽつんと石垣と土塁が残るのみである。しかし、大規模な遺構で、観音寺城と類似する貴重な史跡である。
門址の石垣
北辺の土塁。背景に見える山は観音寺城跡のある繖山
瓶割城址
観音寺城・清水山箕作城・箕作山小脇城・・・・さらに玉緒山布施山城跡、雪野山野寺城跡・・・・佐々木六角氏の重臣の山城が
石垣で組まれた虎口
田んぼの真ん中に大きな石を使って組まれた石垣と土塁が残る。石積みとしては、観音寺城平井丸の大手城戸によく似た作りである。
このような平地に残る遺構としては非常に珍しく、高く評価したいところであるが、残念ながら積み直しの跡が生々しい。
土塁
参考資料:東近江遺跡シリーズ3・・東近江埋蔵文化財センター、現地説明板、淡海の城、 ウィキペディア
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!