北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」

元杉並区議会議員(2007-2011)北島邦彦の活動日誌 e-mail kjmirai@jcom.home.ne.jp

反合闘争と運転保安闘争

2010年02月02日 | 日記
動労千葉スト支援のビラまきを荻窪駅でしているちょうどその時、地下鉄丸ノ内線が止まってしまい、荻窪駅の地下構内は人の渦になっていました。運転保安を阻害する検修業務外注化反対の宣伝活動だったので、乗客である労働者のみなさんには申しわけないようでしたが、ジャストフィットした駅頭街宣になったのでは。
ホームに設置してあるゲートが停電で開かなくなり、それで電車を動かすことができなくなったというようなことを聞きました。ちょうど前の日に、現役の鉄道労働者から反合・運転保安闘争に関わる話を聞いたところだったので、地下鉄の電車運行の実態がきわめてリアルに感じられました。ワンマン運転をしている地下鉄線の駅ホームにあるゲートは、運転士がモニターで安全である状況を確認してから閉めて発車するそうです。ところが、扉が二重になる(電車の扉とホームの扉)構造上、電車の扉の下半分の状況は死角になって視認することはできないそうです。センサーの検知にだけ頼って扉を閉めて電車を動かすのだとか。これって当然不安ですよね。この点についての労働組合側の認識は、こうした状況で事故が起こっても運転士の責任ではないことを当局も認めているのだからそれでよい…というものらしいんです!事故が起こることがわかっていても放置!?あたかも労働者の立場を守っているように見えながら、こんな労使確認があっていいのでしょうか!
話をしてくれた鉄道労働者が言っていました。事故が起これば安全装置が導入されるけれども、それによって必ず人員=安全要員の削減がセットで強行される。そうすればまた必ず事故が起きて、さらに最新鋭の安全装置(技術)が人員削減=合理化とセットでやってくる。これの繰り返しであり、反合理化の論理と闘いなき安全要求はダメであると。しかしよくよく考えてみると、技術革新は資本主義の存続の論理そのものです。したがって運転保安(一般的に言えば安全確立か?)の闘い、すなわち合理化反対を内包する闘いは、必然的に資本主義とは絶対に相容れない闘いとならざるをえないということですね。よくわかりました!