木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

第7問について

2011-08-30 15:02:30 | Q&A 急所演習編
『急所』第7問について、ご質問いただきました。

まだ解いてないよぉ!という方は、 この記事、
あとまわしにしてください。






 第7問の育児手当の設問についてですが、
 p.263に木村先生が不合理な区別を解消するいくつかの選択肢を検討する中で、
 「制度自体の遡及的廃止によって区別の合理性を解消する選択は合憲的ではない」
 と述べたものと解すべきであろう、との記述がございます。

 制度自体を遡及的廃止にすると、他の者の財産権を侵害し、
 かえって違憲となるという趣旨で書かれているものと思いますが、
 これは第三者にも違憲の効力が及ぶこと及びその効力が遡及することを
 前提としている考え方だと思います。

 そこで、付随的違憲審査のもとで違憲無効となった場合には、
 訴訟の当事者だけでなく第三者にも違憲の効果が及ぶのであるか、
 また、その効果はそもそも遡及するのか、という疑問を持ちました。


ご連絡、ありがとうございます。
ご疑問ごもっともと思いますので、お答えいたします。

平等権については、よくわかっていないところが多く、
保障の根拠、保障内容、審査基準など、ほとんどあらゆるパーツで、
ややこしい、そして極めて技術的な論点がわんさかあります。

その膨大な技術的論点に挑戦するのが、平等権研究の醍醐味だと思っています。
(木村一基永世解説名人も、
 「矢倉については、膨大な優劣不明の変化がある。
  それに挑戦するのが矢倉を指す醍醐味だ。
  矢倉研究は、
  憲法学で言うと平等権研究に相当する。」
 と述べておられました。最後の二行は嘘です。)

・・・さて、無駄話はこの辺にして、

平等権は、日本の通説的枠組みによれば、
「区別されない権利」であり、
当人の状況は同じ(例、国籍もらえない)でも、
「他人がどう扱われているか?」によって、
侵害の有無が変わる、とても珍しい権利だということになります。

この他人がどう扱われているかによって、侵害の有無が変わるという点は、
他の権利については、全く考えられないことであり、
自由権であれば、他の人がどうあれ、その人を自由にすれば権利実現、
生存権などの請求権も、やはり他人がどうあれ、その人の請求に対応すれば権利実現。

しかし、平等権を実現するには、
その人に対する扱いをいじるか、別の人に対する扱いをいじるか、
という二つの方法があります。

もう少しいうと、平等権というのは、

 <(もし私に・・・くれないなら)他の人を・・・と扱え> と要求できる権利であり、

 原告の<(略)他の人を・・・と扱え>という権利を実現するために、

 他の人の扱いをいじることは、違憲判決の第三者への効力云々の問題ではなく、

 単なる原告の権利実現だということになります。

 但し、もちろん他人の扱いをいじる場合には、その人への権利や手続の保障も考えなくてはならず、

 訴訟の場で採れる原告救済策には限りがある。

このような論理になります。


そして、この論理は、違憲判決の相対効説と矛盾しません。

平等権に基づく請求を認容する違憲判決も、
もちろん当事者に対する関係でしか効力を持たないのですが、
その肝心の当事者の権利を実現するためには、
第三者にちょっかいを出さざるを得ない、というような感じになります。

うーんと、事例はちょっと違いますが、
 XがYに対し、第三者Aのためにする契約の履行を求める事例
(XはYに対し、第三者Aに・・・することを求める権利を持っている事例)
 とよく似た構造になると思います。

 この場合、YがXに対する債務を履行しているかどうかは、
 YがAに対し何をしているかを画定しないと判断できないし、
 弁済の抗弁を出すには、Aに対し・・・をする必要がある。
 裁判所も、Yに対し「Aに・・・しろ」と命令を出せる。
 但し、この訴訟の既判力は、あくまでX・Yにしか及ばない。

 (例を出して、よりわかりにくくなってないとよいが・・・?)

なので、平等権に関する訴訟の中で、
第三者に対する取扱いをうんぬんしているのは、
違憲判決の効力の問題ではなく、
あくまで、平等権というケッタイな権利の内容の問題だとご理解ください。

こんな感じでどうでしょうか?

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9 コメント

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戸波先生の理解 (Unknown)
2011-10-13 23:26:16
木村先生,こんばんは。
わかりやすい記事をいつもありがとうございます。この記事を読んで疑問点が生じましたので質問させて下さい。
判決の相対効と急所262頁の木村理論が一切矛盾しないことはこの記事を読んでなるほどと思いました。しかし,この理解によると急所264頁の「[木村氏のような前提を採ると]常にBグループに属する原告への支給がなされなければならないことになる.」という戸波先生の記述がよくわからなくなります。つまり,木村先生の説明によると,<(もし私に・・・くれないなら)他の人を・・・と扱え>というのが平等権の性質だから,戸波先生の記述でいうAグループの人に権利義務の変動が生じることになるのではないかということです。
確かに,事実上の問題としてはBグループ全員への給付が必要となると思います。しかし,法律上判決によって変動するのはあくまでBグループに属する原告(とAグループ)の地位だと思うのです。
この点,どのように戸波先生の記述を読むべきか教えて頂きたいです。よろしくお願いします。
返信する
戸波先生について (kimkimlr)
2011-10-14 16:39:10
ええと、個別的効力説をとれば、
判決の効果は当事者にしか及びません。

しかし、訴求的に利益を求める人が
それぞれ訴訟を起こしてきた場合に、
私のような立場をとると、
個々の判決の効力は個別的でも
それが積み重なって、大変な支出になりますよ、
という趣旨だと思いますよ
返信する
感謝 (Unknown)
2011-10-14 17:27:27
早速の返信ありがとうございます。
返信する
いえいえ (kimkimlr)
2011-10-14 21:21:48
ではでは
返信する
立法裁量の侵害 (チャタレイ)
2012-10-26 19:19:37
木村先生、よろしくお願いいたします。

国籍法違憲判決は、旧国籍法3条1項の準正要件の部分を無効として、国籍の取得を認める解釈をしました
これに対して反対意見は
①認知を受けただけの子の国籍取得については立法的判断がなされていない(立法不作為)であるから、立法裁量の侵害になる
②合憲的な立法上の選択肢が複数あるのにそのうちの1つを採ることになるか、ら立法裁量の侵害になる
といっています
調査官もこの2つの問題があるといっています
また、児童扶養手当打切事件でも、①に対応する判示がなされています

これに対して、急所では②のみを問題としており、①は特に問題としていないように見えますが、これはなぜでしょうか?
私は、仮に立法不作為だとしても、他に合憲的な立法上の選択肢がない場合は立法裁量の侵害とならない、つまり②が問題のポイントだと思いましたが、そういう理解でしょうか

なお、最近出版された「憲法論点教室」の67頁にも
「立法不作為の場合に給付判決をするのは、まさに積極的立法であって許されないと考えるのが自然だろう」
と書いてあり、①を②とは別に問題とするようで気になっております
返信する
>チャタレイさま (kimkimlr)
2012-10-28 14:46:59
おっしゃる通りの趣旨です。

給付処分については、給付の仕方に複数の立法上の選択肢があることが多いため、
勝手に立法できない、ということで、
論点教室や①の問題提起は、結局②と同趣旨のことを言っている
と理解すべきでしょう。

で、急所に書いたように、
給付処分であっても、過去の不平等解消のために
処理の仕方が限定され、立法裁量がなくなることはあるので、
②の問題こそが本質だということですね。

ではでは、奥様にもよろしくお伝えください。
返信する
Unknown (チャタレイ)
2012-10-31 17:35:46
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
やはりそうでしたか。これで安心できました。

諸事情ありまして妻とは最近うまくいっておりませんが、日本では私どものことが話題になっているとのことで、日本国憲法を勉強しているところであります。
それではまたよろしくお願いいたします。
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Unknown (チャタレイ)
2012-10-31 17:39:42
肝心のお礼を書いておりませんでした。
教えていただきありがとうございました。
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>チャタレイさま (kimkimlr)
2012-11-04 14:24:30
ご連絡ありがとうございます。
疑問が解消したようで何よりです。

夫婦の問題はいろいろ難しいですが、
どうぞ頑張ってください。
日本では、大変話題になっております。
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