木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

景観シンポジウムにご来場いただき、ありがとうございました。

2012-07-12 11:10:51 | ちょっと一言
10日のシンポジウム、たくさんのご参加をいただきありがとうございました。

終了後、多くの方から暖かいお言葉を頂き、
とてもうれしかったです。

シンポジウムは、こちらのサイトで視聴できるようです。

冒頭が山本先生の今回の問題の分析
40分くらいから赤堀先生のフランスの景観への取り組み
1時間10分くらいから私の報告、
1時間30分くらいからパネルディスカッションです。

当日、たくさんの反響を頂いたのが
「高さ制限やマンセル値にできることがある」
という発言です。
(これは、当日紹介した長谷川先生の論文の
 問題意識を頂戴したものです。

 長谷川貴陽史
 「地域コミュニティは景観法を活用できるか」
 ジュリスト1314号47頁以下

 景観と法の問題が分かりやすく、端的にまとまっています。
 興味のある方は、ぜひご覧ください)


最後にご質問いただいた点とも関係するのですが
私は、別に数値規制が全てだ、ということではなく、
協議会や市民の同意
専門家の監督
マンセル値などの数値規制は
それぞれ性質が違うもので、
あれかこれか、ではなく、
それらを組み合わせて目的を達成しようと言う視点が重要だ、
ということです。

どうも、数値規制は一段低く見られることが多いので、
それにも注目しましょうということだったわけです。

 そうそう、当日、デジカメでマンセル値を計測する事業を展開されている
 会社の方とお話させていただきました。
 マンセル値って何?という方は、ぜひこちらをご覧ください。
 法律家としても知っておいて損はないと思います。



最後に山本先生が強調されていた点ですが、
やはり景観や土地利用規制は
市民や国民の意識、自治意識の裏付けがあって
はじめて実現できるものです。

行政機関や法律家は、市民の合意(法律や条例)がない限り
動くことはできないわけで、
景観を守る場合には、まず、市民の意思を明確に表示するところから、
という視点を常に忘れてはいけないと思いました。

市民の意思を明確にして
横浜市や事業者の方に意見を伝えていくことは、
今後試みられるべきでしょう。

(最後に山本先生が、コンペやろうと提案されていました。
 事業者の方に正面から、設計やり直しコンペをやりましょう。
 そういうことなら、AIJや横浜にある各大学の建築系学部
 総力で応援します、とか提案してみたらどうかなあ?)


ではでは、ぜひこの問題が良い方向に行くことを願っております。

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2 コメント

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Unknown (健康優良児)
2012-07-26 00:45:58
シンポジウムでの先生の発表を見させていただきました。

日本の景観がカオスである背景には、日本の法が比較不能な価値を等しく尊重しようとしていること(リベラリズム)にあるという指摘や、手続的正義を担保に、あるべき街の姿を具体的に構想する必要がある指摘にも賛成します。

もっとも、私は、憲法学が応えるべき問題はまだまだあるんじゃないかなって思いました。

たとえば、鳥取県の境港市はゲゲゲの鬼太郎で「町おこし」をしているわけですが、この町おこしというプロセスを「まちづくり」というプロセスに接続できれば、統一的なまちづくり構想につながっていきますよね。そうすると、ゲゲゲの鬼太郎が嫌いだという少数者の財産権をどの程度まで制約することができるのかということが、第一義的な憲法上の論点になっていくのかなって思います。

ただ、その背景には整理のついていない憲法上の問題群が広がっていると思っています。たとえば、鳥取県としてのまちづくりや、日本としてのまちづくりも尊重される必要があるだろうことから、このような重層的な価値の調整も難しいであろうし、境港市のもっと古い歴史にアイデンティティを寄せる人との調整も難しい。お金の問題だけならまだしも、歴史を持ち出した瞬間にいわゆる精神的自由も絡んできてしまうわけです。

シンポを見ていて、手続的正義の担保は大前提だとしても、その先の価値の調整をいかに考え、財産権の主体にどの程度の受忍を求めるのか、まだ問題自体がきれいに整理されてないんじゃないのかなって思いました。

長々と失礼しました。
>健康優良児さま (kimkimlr)
2012-07-26 06:54:29
私の考えは、報告で述べたように、
財産権者に対し受忍を求めることが出来る範囲は
多様な価値を調整する民主的手続きで
というものですね。

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