木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

必要性の審査と過少包含(過少包摂ともいう)

2011-12-18 07:49:35 | 憲法学 憲法判断の方法
よしのさんから、次のような質問を頂きました。

憲法学読本との整合性について (よしの)
2011-12-17 17:38:49
手段審査について、「憲法学読本」P142の宍戸先生執筆の部分との整合性についてご教示下さい

当該ページでは、厳格審査における必要最小限度の手段の中身として、
過剰包摂(LRA)と過少包摂があると述べられています。
しかし、「憲法の急所」P13の必要性と関連性の定義には過少包摂は含まれないように読めます。
先生のお立場では、過剰包摂は関連性と必要性いずれかで論じるものなのでしょうか?

私なりに考えたところですと、過少包摂とは規制されるべき人に規制をしていないことを理由として、
自身のへの規制を違憲とする手法と構成することができるので、
平等権で争うべき問題なのではないかと思っています。


同僚のタケオカ先生とちょうどこの話をしたところだったので、
その記録を掲載します。

法学部図書室の書庫にいくと、タケオカ准教授がいた。
この男は、刑事訴訟法専攻で、
「おい!学説は肯定説が基本だ。
 取り調べ受忍義務!YES!
 時期に遅れた攻撃防御方法の提出の可否!YES!
 イエス、イエス、イエス!!イエスの嵐を巻き起こせ!!!」
が口癖の熱血教員である。

その暑苦しさのため、普段からできるだけ顔を合わせたくない相手だが、
書庫で静かにものを調べたいときには、絶対に会いたくない相手である。

「やあ!木村先生!!」

タケオカ先生は、満面の笑顔で私に声をかけてきた。
長身、バランスの良い逆三角体型、整った顔立ち。意味なくかっこいい。

「ああ。タケオカ先生。こんにちは。それで・・」

ここまで言いかけた時であった。
彼は私のすぐにでも立ち去ろうという空気を吹き飛ばして、質問をしてきた。

「この新しく入った本(憲法学読本)を見て下さい。
 表現内容規制に対する厳格審査においては、
 過剰な規制(LRAのある場合の規制)のみならず、
 過少な規制(同レベルの害悪を発する行為が規制されていない場合の規制)も違憲になる
 って書いてあります!!!
 これはアナタのブログの手段審査の回答と矛盾します。
 どういうことですか!!!」

「は、はあ。その箇所を書いているのは、確か宍戸先生でしたか。
 でも、その箇所はですね、別に、その本のオリジナルというわけではなくて、
 芦部先生の憲法学Ⅲにも、そういう記述があるんですよ。
 それを踏襲しているんじゃないでしょうか?」

「なんですって!!じゃあ、あなたは宍戸先生のみならず
 芦部先生にはむかっているチャレンジャー!
 いや、エスペランカー!ってことですか?!
 それはすごい。マリアナ海溝とエベレストを同時に攻略しようというようなもんだ。
 すごい。すごいぞ。
 でも大丈夫ですよ。
 軸がぶれなきゃ 酸素ボンベがなくても、その二つを攻略できる。
 攻略できますよ!!」

 いや、そりゃ無理だ。

「まあ、そうなんですがね。でも、過少包含が違憲になるってのは
 ちょっと微妙な問題なんですよ。
 まずですね、防御権ってのは、保護範囲に含まれた行為を
 比例原則(目的の正当性、関連性、LRAがないこと、得失均衡)に反し
 制約されない権利でしょ。
 過少包含のケースでも、
 規制されてもやむを得ない行為(名誉毀損など)をしていて、
 規制の厳しさが得られる利益を超えない程度(罰金くらい?)なら
 比例原則には適合するんですよ。」

「おおお!そういえばそうですね。
 つまり、他の奴らのことなんかどうでもイイんだよ。
 『お前』がイジメをしちゃだめなんだよ!
 周りを見るな。自分の根っこをしっかり張るんだ。こういうことでしょ。」

 私は、私の発言をタケオカ先生が言い換えるのを見て、
 この言い換えに何の意味があるんだろう?と思った。

「それにですね、防御権の審査ってのは、
 その人に対する取り扱いだけを審査(処分審査)することもあって、
 この場合、他の人がどういう扱いをされているか、ってのは審査されないんですよ。
 だから、防御権の審査で、過少包摂があるのかどうか、
 審査されないことも多いのですよ。」

 私は、一息ついた。
 タケオカ先生は、キラキラした目で先を促している。

「それにですね、よしのさんが最後に言うとおりなんですがね、
 過少包摂って、例えば、白人に対する名誉棄損は処罰して、
 黒人に対する名誉棄損は処罰しない、みたいな事例でしょ。
 これ、表現内容に着目した規制ですけど、普通、何の権利で処理します?」

「それは、平等権でしょう!なんてヒドい規制ですか。あり得ません!!!
 あり得ない規制を見たとき、お前らそれを見て見ぬふりかよ。
 そんなの絶対、カッコ悪いぜ。戦えよ。魂で戦うんだよ。
 見て見ぬふりなんて、魂を売っちまっているのと一緒だよ。たましいいいいいい!!」

 タケオカ先生は、教室説例の登場人物に感情移入のあまり
 教室を五周した挙句、教室の真ん中で大の字になってねそべったことのある人物なのだ。

 大学当局による懲戒処分はともかく、
 学生自治会からのツッコミくらいははいってもよさそうだ。


「そうなんですよ。実際、アメリカだと、過少包含的な表現内容規制って
 平等条項使うこともあるんですよ。
 それにそもそも、過少包含って言葉自体が平等権の文脈で出てきた言葉ですから。
 因みに私は、表現内容規制の厳格審査は、
 差別されない権利に基礎を持つものだと考えています(ジュリスト1400号参照)。
 というわけで、過少包含を表現の自由との関係で違憲にする必要はないし、
 そういう違憲審査基準は、芦部先生には悪いけど、ちょっと違うかなと思っています。」

「では、宍戸先生については?」

「うーん、憲法学読本は、宍戸体系の書という位置づけではなく、
 現段階での学説の到達点を分かりやすくまとめた書籍ですから、
 私が、同じ部分を担当していても、同じような解説をしたかもしれません。
 宍戸先生ご本人が、この問題をどう考えているのかは、
 今度会ったときにでも確認しときますよ。」

 私は、話にケリをつけられそうで、少し安心した。

「いや。お考え、よく分かりました。
 法学ってのは、太陽と一緒ですね。ライジングサンっ!
 地上に光を与え、心に勇気をさずける。今日から、木村先生も太陽ですよ。
 いっしょにサンライズしましょう!!!!」

 ・・・・・・。


 というわけで、よしのさんのおっしゃる通りですね。

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15 コメント

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感無量です (よしの)
2011-12-19 08:27:56
こっそりと質問をしたつもりがまた記事に取り上げていただき、少し恥ずかしいですが、どうもありがとうございます。

自分なりに考えたことが実際アメリカでも使われいたとはとても驚きました。
それどころか、平等権の専門家である先生が私と同じ発想で明示的に芦部先生の考えを批判して下さり、感無量です。

憲法学読本と「憲法の急所」は大変相性の良い書籍であると感じ、後輩に勧めております。
両書籍が受験生のスタンダードとなるとき、産みの苦しみの時代が終わり、新時代が到来すると信じています。
返信する
キャラ濃っ!! (kira)
2011-12-19 17:12:28
面白すぎて内容が頭に入ってきません!
もう1回落ち着いてから読みます。
返信する
>よしのさま (kimkimlr)
2011-12-20 06:31:25
>よしのさま
修習でお忙しい中、ありがとうございます。
そうですか。読本と急所は相性が良いのですか。

あんまり意識したことはなかったのですが、
やはり、同門で世代的にも近いということだと思います。
ぜひぜひ、両書籍ともオススメください。

また、今後、私も、他の高橋門下の先生も、
いろいろ書いていくと思いますので、
折に触れ、思いだし、読んで頂ければ幸いです。
返信する
>kiraくん!! (タケオカ)
2011-12-20 06:39:58
なに!内容が頭に入ってこないだって。
そんなときは、ダイコンの味噌汁だ。味噌汁は頭をすっきりしてくれるぞ!味噌汁パワー!

はいそこ。ボサっとしてないで、メモとる。メモ?

何?小さな親切、大きなお世話?
おいおい。味噌は、小さな親切じゃなくて、大きな親切だろ。ビッグヒュージーグランドカインドネス!
BIG HUGE GRUND KINDNESS!!

はい、復唱!!
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Unknown (ゆんゆん)
2011-12-23 22:35:35
いつも楽しく拝見しております。初めてコメントをさせて頂きます。
今回の話題は、私も興味のあったところなので、少し私見を述べてみたいと思います。
過剰包摂とは、要は「すべきでない規制をした」ということです。
一方、過小包摂とは、「なすべき規制をしていない」ということですよね。
ですから、過小包摂は単に立法不作為の問題である、と整理するのが素直なように思います。
14条の問題ということも言えそうですが、それは一例に過ぎないという印象です。
ブログ本文の設例で言いますと、
白人に対する名誉棄損を処罰する立法の違憲を14条で争い、
無罪判決を求めることは十分考えられます。
これは、本来白人に対する名誉毀損を処罰すべきでないのに処罰したことを
問題にしますから、過剰包摂の問題です。
(平等原則を根拠にする場合、対白人と対黒人を同一に扱え、ということになりますが、
いずれも処罰すべきか、いずれも処罰すべきでないかは、表現の自由の問題です。
そして、いずれも処罰すべきでないと主張する場合、それは過剰包摂をいうものとなるでしょう。)
他方、黒人に対する名誉棄損を処罰する立法がないことの違憲を14条で争い、
黒人に対する名誉棄損の処罰(またはそれを可能にする立法行為)を求めることができるのか
というと、これは一つの論点ですが、過小包摂固有の論点でしょうか。
ちょっと別の問題だという気がしますね。
また、白人に対する名誉毀損をした者が、黒人に対する名誉毀損の処罰立法の不存在を理由に
自らの無罪を主張できるか、という問題は、要するに黒人に対する名誉毀損をした者との関係で
違憲を主張するものとして主張適格の問題になります。
いずれにせよ、過小包摂固有の問題とはいえないでしょう。
なお、規制目的との関連性を考慮する際に、およそ規制手段が目的達成に資するところがない、
すなわち、何の役にも立たない手段である(本来の目的達成のための手段がなんら採られていない
、つまり「なすべき規制をしていない」ということです。)という意味で過小包摂という表現をするとすれば、
その限度で関連性審査に含まれることになると思います。
例えば、飲酒による健康被害を防止する目的で、ミネラルウォーターの販売を規制するという場合などですね。
しかし、そのような場合には、ミネラルウォーターの販売を規制する必要がないとか、合理的でないということを
「過小包摂」という言葉で言い換えたに過ぎませんから、あまり意味があるとは思いません。
以上、ちょっとした感想です。
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>ゆんゆんさま (kimkimlr)
2011-12-24 13:41:40
ご感想ありがとうございます。

過少包摂については、比較的厳密な定義があり、
ある対象との関係で必要最小限度の規制が
過少包摂であるという事態は、あり得ると言われております。

興味がおありでしたら、戸松先生の『平等原則と司法審査』という論文等をご覧ください。

ではでは、また。
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Unknown (ゆんゆん)
2011-12-25 00:11:46
お返事ありがとうございます。
ご指摘の「比較的厳密な定義」とは、「規制対象が不当に狭いが故に違憲無効であるとすると、
正当に規制されている領域によって保護された法益までもが失われる関係にある場合における
その規制対象の不当な狭さ」を過小包摂と呼ぶ場合のことを指していらっしゃるのでしょうか。
私の理解ですと、上記は過小部分と正当な規制部分とが不可分であるという暗黙の前提が
あるわけですが、必ずしもそのような前提で議論する必要があるのか少し疑問です。
要は、不当に狭い部分を補う立法がされていないことが問題なのではないか、と思うのです。
それは措いておいて、必要最小限度性との関係で言えば、「最小限度ではないのではないか」
という通常問題にしている部分ではなく(過小包摂は、明らかに最小限度を「越えて」はいません)、
それ以前の合理性の問題(必要最小限度性を問題にする場合でも、前提としておよそ合理性がない
規制は許されないでしょう。従って、最小限度の基準を用いるにしても、当然合理性があることが前提です。)だと思います。
ブログの設例ですと、対白人に限り処罰するのは必要最小限度を越えてはいないけれども、
不合理だ、ということになると思います。
それで、従来「必要最小限度の原則」というときには、その合理性と最小限度性をあまり区別して
来なかったことから、過小包摂の場合にも必要最小限度性が否定される、という表現がされたの
ではないでしょうか。ひどい誤解をしているかもしれませんが、私はそんな風に思うのです。
返信する
追記です (ゆんゆん)
2011-12-25 00:45:28
ご指摘の「厳密な定義」とは、ひょっとすると、
「ある規制について、その規制目的からすれば保護されるべき範囲に属する者のうち、
当該規制によって保護されている者と、保護されていない者の区別が生じている場合に
おける、後者に関する部分」のことを過少包摂という場合のことを言っておられるのかも
しれませんが、やはりその場合でも、同じように不保護者に関する法の不存在を問題
にすれば足りるのかと思うんですよね。しつこくてすいません。
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>ゆんゆんさま (kimkimlr)
2011-12-25 06:21:36
ああ、なるほど。

恐らく「合理性」の定義を誤解されています。

「合理性」というのは、普通は、目的との関連性という意味で使うので、
過少包摂のある規制は、規制対象との関係では関連性があり、「合理性」も肯定されるというのが一般的な理解です。

なので、ご指摘のような処理は、「合理性」という言葉を
一般とは違う形で定義しないとできないと思います。

どうでしょ?
返信する
Unknown (ゆんゆん)
2012-01-25 20:27:25
お返事が遅れまして失礼致しました。
ご指摘の点は、その通りですが、そもそも「関連性」という語が
曖昧に使われていた点が問題だと思います。
より具体的にいえば、関連性に必要最小限度性を含むのか、ということです。
「厳格な合理性の基準とは、目的が重要で、手段と目的の間に実質的関連性があり、
手段が目的達成のために必要最小限度であることを要求する基準である」というとき
関連性には必要最小限度性は含まれていません。
しかし、関連性を強度に求めればそれは必要最小限度性になるという理解も一般的です。
そこで、当初の議論に話を戻しますと、過少包摂の場合には、必要最小限度で
ないという立論は無理であるけれども、その前提である合理性=関連性がないという
立論は可能ではないか、ということです。
(ここでは、合理性=関連性と必要最小限度性を分けて記述しています。)
ただ、そのような最低限度の関連性すらない場合はまれで、むしろ、
過少部分の立法不作為を問題にした方が、問題状況の把握としては適切ではないか、
設例ですと、黒人に対する名誉毀損の処罰規定を置いていない点で、
黒人の名誉権を保護すべきとする基本権規定の趣旨に違反し、かつ、白人に対する名誉毀損を
処罰している以上は黒人の名誉保護の必要性の認識はあったはずで、
合理的期間も必要としない以上、不作為は違憲である、と構成すれば
足りるだろうと、そういう立論なのです。長々と失礼しました。
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