私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

第2次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争の責任について考えよう。

2015年03月14日 | 国際協調

 

 3月の雪が珍しい神社の鳥居

メルケル首相は共同記者会見で「アジア地域を巡る問題を解決するためにも、あらゆる努力を惜しまないで平和的に解決しなければならない。」と述べました。

世界大戦の終結は、ナチスの蛮行からの解放であり、ホロコーストという文明破壊からの解放でした。ドイツが世界に広げた苦しみを、仏などEUの人たちはドイツに和解の手を差し伸べてくれました。

そのお陰でドイツは、日本と同様に市場経済の原則が浸透して発展し、ベルリン壁崩壊、東西対立の終結後、ドイツ統一に進みました。メルケル首相は「和解した独仏が仲介したウクライナ紛争のように、日本の近隣諸国との国境問題では、あらゆる手段を重ねて平和的に解決を模索しなければなりません。ドイツがナチスから学んだ過去との総括のように、日本もグローバルな責任担う国家として誤解や先入観を回避して解決を考えてほしい。」と言っています。

国連改革について、国際的な組織を持つ信頼性と解決能力がいかにと重要かを認識して、メルケル首相は「日独両国は、ブラジル、インドとともに国連の強化と安全保障理事会の改革に尽力します。」と述べています。世界の平和と安定のためには、すべての国が安保理の決定に参画していかないと改革が前進しないからです。

日独の歴史認識については、大きな違いがあります。敗戦国として非常に似た過去を持ちながら、ドイツはナチスの戦争犯罪に関心が高かったため、国民は教育の中でナチスを学びました。ドイツは、近隣諸国に迷惑をかけました。

しかし、日本は米国による軍事裁判で太平洋戦争犯罪の責任者を処刑しましたが、国民は、学校などで帝国軍隊が近隣諸国に行って、どんな戦争行動をとって来たかについて、詳しく学習する機会を持ちませんでした。多くの国民は、中韓や東南アジアを守るために日本の軍隊が近隣諸国に行って戦争したくらいに思っているのでないでしょうか。

78歳の私も近隣諸国に対して、どんな謝罪をしなけらばならないか良く分かりません。学校では帝国軍隊が何をしたか教えていません。分からないのは総理大臣も同じでしょう。

戦後70年の節目、遠い昔の日本軍隊については、その頃の兵隊さんは亡くなってしまって聞けません。兵隊さんは生きていたとき、負けた戦争について何も話してくれませんでした。

しかし、今年に入ってから、70年前の戦争について、新聞・テレビはかなり詳しく報道するようになったと思います。NHKの朝ドラ「マッサン」でも、兵隊服が登場しています。少しずつ戦争の酷さが理解できます。

総理大臣は祖父の話だけで、戦争や軍隊を理解するのでなく、今、島国日本が戦争を起こしたり、戦争に加担したりしたときに、その反撃があったときはどうなるか。70年前には敵アメリカの日本本土爆撃から敗戦まで1年かかりましたが、これから戦争が起きたときは、小さな日本は自衛隊によっても1か月持たないと思います。仮に敵が米や中国に攻撃されたとして考えてみてください。

政府与党は、自衛隊を日本以外に派遣して、石油輸送路を確保し、日本を守るなどと言っていますが、石油は取れすぎて余る時代になりました。中東各国は、日本を平和国家と見ています。日本の商社に取引は任せておけば十分です。

今、政府が考える安全保障は自衛戦でなく、海外での地域戦争です。中東の有志連合への武器輸出です。戦前の死の商人であり、石油基地確保は、戦前の帝国軍隊と同じ領地拡大です。中国の南沙諸島開発を非難できません。

メルケル首相の「過去の総括は和解が前提になっている。和解の仕事があってこそ、EUを作ることができた。」と言っています。メルケル首相の過去の総括が、日本の場合に何であるか、分からない総理大臣では、日中朝関係を円滑にし、地域の平和と安定化を図ることはできないでしょう。尖閣列島、南沙諸島開発の解決はできません。

再度のお願いです。戦後70年の首相談話は、50年、60年談話で十分です。終戦から年数が経ち過ぎました。平和憲法はなし崩しで、大東亜戦争を知らない国民の間にも、談話の意義が薄れて来ました。大東亜戦争の責任を認めない安倍総理には、談話は相応しくありません。      70年談話は見送ってください。

蘇生



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