私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

68年間守られてきた平和と人権が危うくなりました

2013年12月09日 | 平和憲法

 

景気後退と未曾有の災害の発生の中で、大勝利した安部内閣の誕生に

不安を感じていました。ちょうど1年が経過して、選挙で公約していなかった

武器輸出や自衛隊海外派兵をするため、反対世論操作に必要な

「特定秘密保護法案」を日米の情報共有が必要だとして

国会の審議も十分にしないで強行可決しました。

日本の将来を戦争に持っていく悪法をどうして急いだのでしょう。

衆議院段階では、法案が杜撰で不明確だったこともあり、

反対世論は盛り上がりませんでしたが、衆院での可決後

法案をメディアや法律家が問題点を指摘するようになって、

学者や有識者の多くが反対の意志を表明するようになりました。

しかし、法律は参院で成立してしまいました。

心配なのは、政府がなんでも秘密扱いにして、国民が知りたいことは

知らされないと言う怖さです。憲法の基本理念である国民主権を、

土台から崩してしまうことです。

憲法の平和主義は軍事や防衛関係の情報は

国民が厳しくチェックする必要があります。

この法律は、平和から戦争に向かわせるのに大変便利になりました。

今後の政府の動向には注意していきましょう。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。