馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

エピローグ 死に際の愛

2023-04-22 06:53:06 | 日記

2人の親友を看取り後
私は、一人墓参りをすることになった。
葬儀での人間関係に疲れてしまった。
様々な相克、嫉妬、が渦巻き
周囲が意外な意識、気持ちで参列していた。
私は距離を置いたのだ。



山岳部同期の墓参り
その翌年夏、北アルプス立山連峰を仰ぎ見る富山平野の
海沿い近く田んぼの畦道を通り、小川に木の渡し板を渡った
先に同期の家の田があり、角に苔むした石柱が立っていた。
同期の父は31歳で亡くなっていた。
同期は52歳と刻まれていた。
奥さんと二人 酒好きであった同期のために 富山の地酒 立山を
石柱に注いだ。立山連峰を仰ぎ見た。
山岳部時代、岩登り、冬の雪煙吹雪く立山合宿が走馬灯のように思い出していた。
25歳の時北アルプス前穂高北尾根で滑落死した同期
今又、一人居なくなってしまったのだ。




合気道部主将への墓参りは32キロ徒歩で巡礼。


かけがえのない愛おしいいのち。人は、この世に生まれ、生かされて、生きて、死んでいく。ただそれだけのことなのだ。


人の一生における最善のもの。それはだれの目にも触れない、だれの記憶にも残らない、愛と思いやりのこもった細やかな行為。


ワーズワース


千の風になって (ピアノ・バージョン)

はいだしょうこ「千の風になって」 秋川雅史(フル)〈公式〉


死に際の愛のパルス。

2023-04-21 07:06:21 | 日記
 病室で意識が戻らなくなった夫の耳に口を寄せて感謝を告げると、それまでまったく呼びかけに応えなかった夫が手を伸ばして抱き寄せてくれた。口移しで夫の口に水を浸しているときに息を引き取った。


 「ものすごく嬉しかったですね。夫がまもなく(息を引き取る)という状況にありながら、夫に近いところにいるという感じがして。その話をするたびに、十数年経っているんですけど、私は涙が出ちゃうんです。(中略)奇跡が起こったような別れがあったので、なおのこと、あと1年間ぐらいは何も考えられなかったです」
育児しながら世界的な研究成果!「米沢富美子」学会の子連れ狼と呼ばれた物理学者の凄い生涯


米沢富美子 - Wikipedia


ネット上で読み知り、鳥肌が全身全霊に巡った。
死ぬことに失敗はないが
死に方は選択できない。
年齢を重ねる毎に
死に直面が増える。
父の死は、山間の旅館での客死
母は介護病院で逝った。
直面で看取ることは出来なかった。
高校生の時、親友がダンプカーに
正面衝突され、全身グルグル巻きの血の滲む死が初めてであった。
幾多の葬儀はあったが、
脳腫瘍での危篤の知らせを夫人から受け
列車に飛び乗り富山に向かった。
緊急病室で眠り続ける山岳部同期を4時間余り見続けた。
一瞬、目は開いた。
右手を伸ばした。
力なく下りた。
瞼が震えていた。
私は手を握り続けた。
時はゆっくりと刻みながら
止まった。
51歳であった。




夜 8時、酔いでウトウトしていた
携帯電話が鳴り、合気道部主将の同期の妹からだ。
「間もなく兄の命は止ります」
酔い醒めて飛び出した。
病室で手を握りしめた
閉じられて瞼が薄目を光る。
微かに同期が、握り返した。
まもなく、鼓動は停止した。
生涯独身
61歳
死の間際には、脳内にパルスが流れ
その人の生涯は早送りされるのだと
本で読んだ。
死に際の愛のパルス。
僕もそうありたいと願う。

かくも美しく燃える

ワインレッドの心(椎名林檎ver.) - 井上陽水・玉置浩二 【ピアノ】 / Wine Red no Kokoro

渋谷スクランブル交差点、行き交う人々が何処へ行くか誰も分からない。

2023-04-20 06:48:51 | 日記

お袋が97歳で旅立って2年
お袋は何処の場所で介護されたのかも知らずに逝った。
それまでは、渋谷のスクランブル交差点を渡り
介護病院へ見舞いに毎週出かけた。
これからは
渋谷スクランブル交差点を渡ることもない。
享楽、快楽、淫靡、
誘蛾灯のブルー、ピンクに瞬く街角、横道に
若者が蛾の如く群れ寄って来る。
東日本大震災
コロナ禍
ウクライナロシア戦争
政治家暗殺
混沌とした日本列島
日本海 対岸諸国は不安定。
さあ~て、今後、真坂が起きそうだ。


再掲
今から9年前 2014年5月10日の日記。

5月9日(金)17時45分 渋谷スクランブル交差点前に立つ。

かくも賑やかな街角だ。

行き交う人々の姿をマジマジ見つめることはないが

改めて画像を見ると、金正日の息子そっくりの人物がいる?

かなり前、息子は密入国して逮捕されたな。

  

文化村を通り坂道を上がる。

 

果報は寝て待て!ではなく

走って掴め。看板がある煙草屋まで来た。

 

対面には フランス田舎料理 ガレットリアの緑の館。

去年5月4日に、妻と娘で食べたが、爺さん一人で入れない。

店内をチラリと覘き見ると若い女性ばかり。

山手通りを右折して介護病院に18時に着いた。

部屋には既に弟が来ていた。

 

弟が言う。

「今日は安定している、昨日は喚いていて自分の妹の名前を呼び続けていた」

「妹が見舞いに来ていると思い込んでいる」

 

見舞いに来ないのが寂しいのだ。

19時、弟に鳥豊の焼き鳥を渡して病院を出た。

 

帰りはネオン瞬く享楽の横道を抜け

道玄坂に出た。

ふと、思い出し横道の坂にある喜楽に向かう。

 

2階の合い席でもやしソバを食べた。

前に食べたのは何時だったか思い出せないが

渋谷にある取引先の方と飲んだ後で

〆のラーメンだった。

取引先の方も既に定年退職。

焦げ醤油は香ばしいな!

 

道玄坂には、明日の死など想像すら出来ない

若い男女が饗宴の横道に入って行く。

およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。

道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり

人々が歩いていく、どこへいくのか誰も分からない。

私は煌びやかな都会を闊歩する年齢ではない。

山里のホームレスを自称するオジサンなのだ。

山里が落ち着く。

 

20時 銀座線渋谷駅から帰った。

 

悲しき街角 Runaway 銀座ケントス26周年イベントより

ミナトヨコハマへ。

2023-04-19 08:11:47 | 日記
4月11日(火)
国立東京医療センター
前立腺癌経過診断


医師よりの言葉
夜半頻尿軽減方法
今後 排尿の薬は必要無し。
「頻尿は、精神的作用が大きい」
「膀胱にイッパイと感じますが
実際は溜まっていません」
「今後は我慢する訓練です」
「排尿切迫感が感じたら、トイレに入り
我慢堪えてください」
「耐え切れなくなったら、排尿すればいい」
その繰り返し訓練で夜半頻尿は改善します。

しかし4月19日夜半
2時間起きに排尿切迫感が続く。
どうも2日間、弁護士への書面作成で動かず
水分、ビールの飲み過ぎのようだ。
11日は午前8時に自宅出て
半蔵門線駒沢大学駅下車
診察終えて東急東横線 都立大学駅へ
大学名の駅だが、既に京王線南大沢駅に移転。
みなとみらい駅で下りて表に出る。
みなとみらい駅
横浜のオフィス街は道幅広く
花々が植樹され、人通りが少なく清潔感。
港の風は微温で歩き回るにはほど良い。
幼い頃、東京の下町で育ち
親父の転勤とともに横浜の辺境地に引っ越した。
桑畑と森と蛇と野兎があって、中学校に向かう
高台から谷を上り下りする前方に
丹沢山塊と富士が見え隠れする。
高校は湘南の海辺にあった。
1年遅れで卒業すると
横浜日の出町にある予備校に通った。
入塾テストがあり、全く勉強していなかったので
兄に身代わり受験。
落ちる訳ではなく、習熟度別のクラス分けであった。
皮肉にも、後に兄は予備校講師になる。
息子も、大学受験を拒否したが
1年後、無理やり兄が講師する予備校で
冬季のサテライト授業を受けさせた。
娘も学び、私の家族はお世話になった。
予備校では数奇な出会いが待っていた。

授業料が払えなくて半年だけ通い
後は野毛の図書館で居眠り。
又、無料の動物園でぶらぶら。
そうして、港にある造船所のダイナミックな鋼鐵の櫓を見上げた。
親父は造船所で働いていた、
甲板から転落して1年間入院。
今は造船所はランドマークに代わった。

ミナトヨコハマ  

当時 開港記念日には、彼女とデート。
郷愁辿る街並に彷徨すると
過ごした少年期青年期の仲間は
何処へ移り住んだのか知らない。
みなとみらい駅、上階で遅い昼食。
入った店は中華街にもある上海料理店。
客はいない、
中国人女性の、甲高い
「いらっしゃいませ」の声。
瞬間 「失敗だ」
名物 焼きそばを食べたが
味音痴の私でさえ不味いと感じた。





仕事の関係で中国人の知り合いがいるが
日本での仕事を安易に考えていて
本格的な料理など作ったことないのに
舐め切って厨房で働く。
日本人料理人の方が格段に仕込みが出来る。
空腹だが、食べ残した。
この店は、厨房の中国人を変えないと
早晩 閉店となる。
老年になると、怨讐を越えて
多感な少年期青年期を回想して
その地を辿り想い馳せる。

ちあきなおみ ブルー・ライト・ヨコハマ









笹の小舟

2023-04-18 08:17:23 | 日記
4月17日(月)
10時に桜上水事務所着
即 パソコンを開き
WORDで書面作り
弁護士へ提出する。
昼飯も食べず午後8時まで書きこむ。
ビーフヘッド頭脳は、牛牛音が鳴るが
回転しない。
明晰な頭でないので、上申書など
説得力文は書けない。
午後8時 とりあえず終えて
コンビニで缶ビールとワンカップ、ツマミを買って
一人呑む。
自宅には午後10時半着。
今朝の起床は心身疲労で起き上がれない。


そんなんで、ブログはいい加減にする。



笹の小舟
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと — 『古今和歌集』撰歌

私にそんな歌心の筆力と達筆さがあれば


ガラスペンで書きたい。


大きな声いえないが 私ごときでさえ不幸にさせてしまった女性がいる。
去年5月1日に書いた。
神田川を遡れば善福寺川
4月終わり、陽盛りと緑濃き善福寺川沿い、高級低層マンションで一人
暮らすあの人の寂しさを思った。
冬が来れば還暦なのだ。

中国民謡 笹の小船
一条 小渓 湾湾 曲曲
ひとすじのせせらぎ ゆるやかに
流過 我 門 前
わたしの家の前を流れ。
一条 小河 曲曲 湾湾
ひとすじのせせらぎ ゆるやかに
洗過 你 家 园
あなたの家の庭めぐる。
小渓 的 水 呀 天天 流
せせらぎの水よ
日ごと流れてゆくが、
送不走 許多 思恋
わたしの思いを

流せはしない。
小河 的 水 呀 夜夜 唱
せせらぎの水よ
夜ごと調べをかなでているが、
唱不尽 思緒 万千
わたしの思いを
歌い尽くせはしない。
折起一只 竹叶 的 船
笹の葉で小船を一つ折り、
挿上 一桅 白色 的 風凧
そこに白い帆を立てて、
戴上 我 心中 的 思念


わたしの思いをのせて、


映向 你 心中 的 港湾


あなたの心の港に向けて


送り出そう。


映向 你 心中 的 港湾


あなたの心の港に向けて


送り出そう。