お袋が97歳で旅立って2年
お袋は何処の場所で介護されたのかも知らずに逝った。
それまでは、渋谷のスクランブル交差点を渡り
介護病院へ見舞いに毎週出かけた。
これからは
渋谷スクランブル交差点を渡ることもない。
享楽、快楽、淫靡、
誘蛾灯のブルー、ピンクに瞬く街角、横道に
若者が蛾の如く群れ寄って来る。
東日本大震災
コロナ禍
ウクライナロシア戦争
政治家暗殺
混沌とした日本列島
日本海 対岸諸国は不安定。
さあ~て、今後、真坂が起きそうだ。
再掲
今から9年前 2014年5月10日の日記。
5月9日(金)17時45分 渋谷スクランブル交差点前に立つ。
かくも賑やかな街角だ。
行き交う人々の姿をマジマジ見つめることはないが
改めて画像を見ると、金正日の息子そっくりの人物がいる?
かなり前、息子は密入国して逮捕されたな。
文化村を通り坂道を上がる。
果報は寝て待て!ではなく
走って掴め。看板がある煙草屋まで来た。
対面には フランス田舎料理 ガレットリアの緑の館。
去年5月4日に、妻と娘で食べたが、爺さん一人で入れない。
店内をチラリと覘き見ると若い女性ばかり。
山手通りを右折して介護病院に18時に着いた。
部屋には既に弟が来ていた。
弟が言う。
「今日は安定している、昨日は喚いていて自分の妹の名前を呼び続けていた」
「妹が見舞いに来ていると思い込んでいる」
見舞いに来ないのが寂しいのだ。
19時、弟に鳥豊の焼き鳥を渡して病院を出た。
帰りはネオン瞬く享楽の横道を抜け
道玄坂に出た。
ふと、思い出し横道の坂にある喜楽に向かう。
2階の合い席でもやしソバを食べた。
前に食べたのは何時だったか思い出せないが
渋谷にある取引先の方と飲んだ後で
〆のラーメンだった。
取引先の方も既に定年退職。
焦げ醤油は香ばしいな!
道玄坂には、明日の死など想像すら出来ない
若い男女が饗宴の横道に入って行く。
およそこの世のことで、いつまでも変わらぬものはなにもない。
道があり、通りがあり、曲がり角があり、路地があり路地裏があり
人々が歩いていく、どこへいくのか誰も分からない。
私は煌びやかな都会を闊歩する年齢ではない。
山里のホームレスを自称するオジサンなのだ。
山里が落ち着く。
20時 銀座線渋谷駅から帰った。
長生きしてください。