4月11日(月)逃電社長は福島県庁に護衛隊を引き連れ、
知事を尋ねて謝罪を試みたが門前払い。
被災住民が横たわる避難場所には見舞いせず。
清水社長は社長昇格の言葉で 「何事にも逃げない」と明言した。
そして次のように社長としての使命感を書き残した。
「うちは公益事業であることが最上位にきます。
電力の安定供給。
嵐になればみんな駆けつける。
パブリックユーティリティあるという点が会社のDNAです。
その組織の原動力となる人材には高い倫理観や社会的使命感が
求められます」。
東京電力社長 清水正孝
長らく商売してきて実感するのは、美辞麗句の人生観を語る人程
実態が違うことだ。
私に押し付けがましい教訓を垂れかっこよさを示すお人にかぎって
ある日突然やって来て「金貸せ」「騙されたから助けてくれ」と
お願いするが、必死に協力して支えるのだが、立ち直った瞬間
恩を仇で返す行為をして去って行く。
私がお人好しだから馬鹿にして来るらしいが
奇麗事言うオジサンは信用してはだめだ。
艱難辛苦に耐えた方は黙って微笑むだけで何事も語らない。
逃電社長は日本広報学会 会長でもある。
広報がより真実を伝えるべきだとの思いを語っている。
心身衰弱のため24時間完全看護、温かいベッドと食事により回復。
被災者の劣悪環境場所を訪れ謝罪すれば罵声を浴びるのは間違いない。
事態を益々悪化させてしまった。
ここまで来ると謝罪は難しい。
1962年に国鉄三河島脱線事故で死者160人、負傷者296人を出す大惨事になった。
当時の国鉄総裁十河は亡くなられた方々の自宅を涙で全て弔問した。
逃電社長は早く退任され、若く逞しい新社長に難局を任せる。
ビルマの竪琴 水島上等兵のように戦地で亡くなった兵隊を弔うために
ビルマの地で僧となり遺骸を埋葬した。
空き缶さんだって年金未納で四国お遍路の旅に出た。
謝罪の旅行脚が一番望ましいと思うが!
私もサラリーマン時代、労組書記長として会社側と対峙した。
交渉では勝利したが、結果的「思想的に問題あり、破壊者だ」
レッテルを貼られ追い出され、妻子を抱え苦闘の幾年月を耐えた。
でもなー!あんた見てると現場から叩き上げて、人の痛み悲しみを
救いとってきたようには見えない。
無理かもしれない。
東電の危機管理対応のブザマが益々露呈しだした。
空き缶総理に怒鳴りつけられた逃電社長は、生まれてから今日まで
褒められ、尊敬されていると自負していたが、60歳過ぎて始めて屈辱的罵声を
浴びて神経耐えられず病院へ逃げ込んだ。
逃電は原発推進した自民党と親密な関係にあったが、献金は民主党には
していなかった。 空き缶総理は在日韓国人献金問題で首が飛ぶのは
秒読み段階だったが、大震災により急変。
献金受けていない空き缶総理は一気に攻勢に出た。
野党も空き缶ではダメだと言うが、土管はひび割れするし
青筋たった甘柿だか渋柿だか中味が分からないひ弱な総裁で
政権奪取を狙う。しかし棺桶に半分踏み入れた長老ご相談するようでは
信頼されない。自ら強い使命感で日本再生させる気概を持って欲しい。
空き缶とヘリに乗った原子力安全委員会委員長班目(まだらめ)春樹委員長
「爆発など起きません」と空き缶総理に震源(進言)したが
直後に爆発、出鱈目(でたらめ)恥ずかし委員長になった。
保安院も含め原発に関わった国家関係の方々は千人以上いる。
高額な収入を得ていたが返還すべきだ。
テレビで解説するシルバーオジサン達(ひとりはヅラだが)あなたがたも
責任ありです。
逃電さえ債務を負って弁済する。
逃電は空き缶総理が来たからベントが遅れた言い訳したいため
仲良し自民党に頼んで攻め立てたが一蹴された。
マスコミも当初、逃電批判を避けて来たが
溺れる犬は棒で叩け
逃電が海に流され溺れると認識した新聞、テレビは
徐々に内情暴露を始めた。
それまで莫大な広告費をメディアに流し込んでいたため
マスコミは及び腰だったが、圧力をかける力無しとみると
一斉に叩き出した。
ペンは金に弱し、広告はペンに強し だが
バランスが崩れてしまった。
新聞、テレビ等の既存メディアが真実を伝えているかの判断基準を
ネット情報を取り込みながら判断しなければならない。
古くはオウムサリン事件、近々は厚生労働省婦人局長冤罪等
偏った報道による不信感。
昨夜、石原さんが都知事当選が決まると、選対委員長の佐々淳行は
大地震を憂いて石原は立候補したと言ったが、地震前に表明している。
又、「石原都知事により空き缶政権を倒すのだ」と述べたが、
都民はそんなこと言ってませんよ。
舐めてはいけませんよ!騙してはいけませんよ!
都民はあんたの出鱈目発言に吃驚!
民主党政権になってお声のかからなくなった評論家達は失業状態
何とか大震災を好機とばかり食い扶ち求めて右往左往
大震災は政治家、その取り巻く利権集団の真の姿を炙り出した。
4月9日(土)午前海老川を散歩
川の橋は一部破損していた。
この時季、海老川ジョギングロードとして、桜並み600本を
走る人達が毎年いるが、この春は地震でジョガーも少なく
屋台も出ているが客はいない。
4月10日(日)午前中、幕張メッセまで歩く。
サイクリングロードは 歩道の境界石が崩れ、ひび割れ、液状化していた。
メッセ手前 海浜霊園横を流れる菊田川護岸は崩落していた。
競艇船券売り場は営業している。
これだけでも恐ろしい出来事だが東日本大震災のかすり傷にしか見えない。
朝6時頃もドスンと揺れがあった。
東日本ストレス地帯になり、夏に向かって国民は耐えられるだろうか!
4月8日(金)17時半帰宅のため 国道14号を両国橋を渡り錦糸町駅まで歩くことにした。
寒くもなく暖かくもなく夕暮れが迫る両国橋。
大震災自粛で隅田川の夜桜屋形船は一艘がスカイツリーに向かっているのみ。
夏の花火と春の桜見物が稼ぎ時なのに、船宿は深刻だろう。
震災不況は刻一刻東日本橋の片隅にも迫ってきた。
両国橋を渡ったところで携帯メールが鳴った。
4月6日(水)に事務所で飲んだ仕事関係の人だ。
3月末で自営業に見切りを就け、就職の道を選んだ。
7日に以下のメールがきた。
「本日はお昼時に失礼しました。また、きちんと挨拶もせず、申し訳ありませんでした。
本日、人生の一つの区切りが着きました。明日から『再出発』です これからも走り続けます。
この決断に至るまでかなり悩みましたが、心からの応援をいただき決心出来ました。色々ご心配をかけてきて申し訳ありませんでした。そして本当にありがとうございました。
また、ご報告させていただきます」。
そして、8日初めてのサラリーマン生活のメールだ。
「本日、初出勤でした。
朝から強風で京葉線が遅れ、ヒヤヒヤしましたが、遅刻せず無事に出社出来ました。
本日の業務は、火葬場の霊安室に行き、ドライアイスの取り替えを行いました。
奥の深い仕事、毎日が勉強となりそうです。
お願いがあります。
通勤時間が長いので、退屈しています。ミレニアムの三話上下をお借り出来ますか。会社帰り、又は休日に伺います。
宜しくお願いします。
本日より一週間は休み無し。勿論連休はありません。そして来週後半から宿直が始まります。
しかし、帰宅時間はこれまでより早くなります。
サラリーマンって感じですね!
とにかくガンバリます。
発泡酒飲む日を楽しみにしています」。
50歳にして再出発
妻、子供3人、ローン抱え税金の滞納もした。
だが、優しく、真面目
幸せになってと願う。
私も若い頃から騙され、詐欺にあったり、善意が仇になったり
理不尽な人生で「俺ほど不幸な人間はいない」人知れず泣いたことがあった。
でも、そんな事、チッポケで些細な世の中何処にでもあることなのだ。
大震災と原発災害は、東北の人々を一瞬にして全てを失ってしまった。
被災された方々に比べれば大した挫折、悲哀、苦難ではないのだ。
私も君も新たに再生チャレンジしよう。
そして、人生の終止符である葬儀の仕事内容と様々な人間関係を
発泡酒を飲みながら語りたい。