僕は貧しい家庭の男兄弟3人の次男
幼い頃、戦地武漢から帰還した父は
生まれ故郷の栃木那須の出身
32歳の時、同郷の19歳の娘と所帯を持ち。
東京下町、6畳一間風呂無し木造アパートで暮らし始めた。
次男の僕は寝る布団がなくて、知らない人の家に
寝泊まりを転々一人でさせられた。
寂しくて小学校にも行かず彷徨った。
後年、父母が苦境の時は駆け付けた。
兄弟が危険に陥ると危難を救った、
僕は貧しい家庭の長女と結婚した。
彼女は家計を助け妹と弟の面倒をみた。
僕が結婚する時、お袋は言った。
「亭主より少し貧しい家庭の娘と結婚するのが良い」
幾多の恋愛遍歴を経て納得した。
乳業メーカー就職した。
新入社員代表として答辞を読み上げた。
3カ月で退職。
牛乳屋になれない。
「牛乳を飲む人より牛乳を配達する人が健康である」
正しくそうなのだが、安定を求めての生き方は
将来展望が見いだせなかった。
「3C男」と付き合ってはいけない
https://woman.mynavi.jp/article/231012-10/
マリンフェスタ 守も攻めるもくろがねの!
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/a5ffd30612ccb38cce1b1ee9b687a1a8
ロッククライミングは、登攀したら後戻りは不可能
撤退は死だ。
登り切らねばならない。
続く