9時半に妻と自宅を出る。
京成電鉄、総武横須賀線、
乗り継ぎ、戸塚駅からタクシー
私一人であれば、駅から、街道4キロを歩くのだが
12時10分 寺駐車場に入る。
同時刻 弟夫婦と兄が到着。
駐車場には、看板が!



時代はあらゆる国民の現在事象が投影される。
不況 少子化、跡継ぎ、相続
住職も31歳の息子が受け継ぎ
父住職は、新潟の石打に過疎化した廃寺寸前の寺に
再生させるため、赴任した。
ゴキブリも暖かさが微塵もない本堂では凍り付いているか。
兄 弟夫婦、私と妻が小さな椅子に背筋を伸ばし
97歳死去の位牌を見続け
読経供養を謡と太鼓と鐘の響きに目と耳を傾ける。
終わって、墓石にて再び住職が、寒風の空に
72歳の父と97歳で召された母に、安寧を唱えた。

30分程で、一周忌法要は終えた。
私は小高い山の寺院の頂きを上がり
見晴るかす先に青空が広がり
その下に薄い白雲カーテン引かれ
濃い藍の丹沢山塊が切れ間から覗く。
雪富士は姿を見せず。
一周忌法要 正安寺
弟の車に5人が乗り実家に戻った。
垣根にへばりつくように山茶花が花が開いていた。

娘が生まれ市役所に届出した時に
市花である小さな鉢植え記念樹として頂いたが、
マンション住まいだったので実家に植えた。
成長した。
娘も漸く昨年南の島で花開いた。
仏壇の明かりと線香の匂いが室内に漂う。
父が横浜で造船マンと仕事していた廃材で
引退後、製作していた遺作は仏壇横に鎮座。


宴が始まった。
妻以外は飲兵衛であり
饒舌な酔っ払い会話が始まる。
実家の庭、兄の丹沢麓の野菜
弟の嫁さんの実家信州から送ってきた野菜
漬物、天ぷら、肴が掘り炬燵座卓に広がる。

有名レストランの料理の豪華さないが
素朴な質素な山菜は、逝ってしまったお袋の郷愁と慕情が
染み入っている。
ビール、日本酒、焼酎、畳に置かれた。
大学受験予備校講師であった兄は
引退後、コロナ禍で語り相手がいなく
一気に喋りまくる。
国語教師であった兄は次男の僕に言う。
「お前の文章は誤字脱字が多いが
真似できない表現をする。
文学系教授、中高教師は、その文学性感性が乏しいから
教師になった」。
私は言った、
ブログで誹謗中傷する、通称糞爺と呼んでいる爺さんが
馬鹿も一心ブログは、漢字を書けない読めないと
くだらんコメントをする。
兄は言った。
糞爺の文は読んだ。
あれはキチガイ文で支離滅裂。
おまえに嫉妬しているだけ。
作家は誤字脱字がないと思われるが
実際は編集担当が修正している。
文学的感性豊かな子供は、先に言葉が
頭に浮かび、文字にするが、漢字、読方より
紙に想いを書き連ねることを優先する。
息子が小学生の時
作文で
「ぼっちやんがいけにおちてボチャン」
「ぼくは、はらっぱではらいっぱいたべた」
書いたら女の先生に怒られた。
後に、仕事の合間に、脳内に雑事を払拭するため
歴史小説もどきを創作する。
ある雑誌社に応募して3回佳作になったが
才能の無いのを自覚して現在は止めた。
想像性、を創造にする作文力を教師は理解できない。
偏差値秀才に豊かな情感とユーモア、欠けているか?
酔いは暖かな炬燵で更に回る。
16時 私と妻は辞して、タクシーで駅に向かう。
相鉄線、横須賀総武線を乗り継ぎ
船橋からタクシーで18時半自宅着。