配達証明書が届いたのは8月11日であった。
8月3日に郵便局から出した郵便が
7日間を要して房総半島の山間の古民家に届いたのだろうか?
それとも、その住居地ではなく別の場所で受け取ったのか?
郵便局は教えない。
悄然と溜息で葉書を見詰めた。
彼女は何処に?
去年秋、房総半島を襲った台風は、民家をことごとくなぎ倒した。
馬鹿知事が行方不明になり大騒ぎ。
私が勤めていた会社を60歳前早期退職して
房総半島に転居。
夫とは別居生活30年。
犬と猫と鶏との暮らし。
しかし、返信は無かった。
別人が出た。
彼女は私と同年齢。
彼女も波乱の人生を歩んだ。
男勝りの表現が当てはまるが
当時、労組書記長であった私を支えたのだ。
退社して起業したが
見かねた彼女は私に金銭的援助を申し出たが謝辞した。
私の矜持が許さなかった。
後年、サラリーマン時代の後輩の葬儀で再会した時
添い遂げられなかった女性もいたが、彼女は
再会を拒んだのだ。
消えた女性も通夜にいた。
彼女は言った。
「あの子は、あなたに会いたくないのよ」
「老けた自分を見せたくなかった」
私は黙って下を向いた。
房総半島を
必死に追跡調査して住所地を訊ねれば確認すればと思い巡る。
しかし、何らかの拒否理由があるのだから
彼女の心に土足で踏み込むのは止める。
表面の皮を一枚剥いでみれば
その下にはきわめて深刻な事情が蠢いている。
私にとっては大切な恩人です。
簡単にはほっとけない。
団塊世代は、仲間との別離の時がやってきたのだ。
下記ブログは彼女からのメール文です。
「おまえに苦言を呈す、バカヤロウ」2
2012年1月8日
古い付き合いの知人女性から、年賀状の代わりに手紙が届いた。
思いがけないことにブログを見ていたのだ。
一部省略、修正しましたが、以下が手紙
オバン 公開許せよ!
昨年末、いつも遅くなってしまう年賀状を書き出しました。
あなた宛の年賀状を書き出したのですが
ふと、あなたのブログを見たのです。
読んでいて、昔も今もかわらないのね!
その一途な性格、真っ直ぐ、誠実で相手に懸命に尽くしてあげる。
当時労組書記長として日夜交渉で心身疲れきって待機室に戻ってきました。
女子役員はあなたのこと心配でした。
しかし、男の役員は酒飲んでいるだけでした。
会社側が労使交渉で負けると書記長にした陰湿な意地悪は
現在の組合にも暗い記憶として残っています。
組合執行部、一部男性役員は書記長の活躍と注目に嫉妬していました。
書記長を本当につまらない事でなじり、苛めました。
理屈に程遠い言葉で感情的にあなたを攻め立てました。
「男の妬み、嫉妬を知り怖くなりました」
ライバルを蹴落とそうと感情剥き出しで罵倒しました。
あなたは深夜ビル窓外に瞬くネオンを見詰めて耐えていました。
何もしてあげられなかった私は言葉もかけられませんでした。
職場でも女性達で話をすると
旦那様にしたいNO1はあなたでした。
かっこよくはありませんでしたがなぜか安心感がありました。
あなたが会社を去って、組合執行部は 前書記長を否定することによって
現執行部の存在価値と正当性を主張しました。
愚かな男達です。
昭和44年1月 尾瀬ヶ原
当時から30年近く経ちました、組合も会社も成長したので
あのようなことは起きません。
独立され、苦労されお子様二人を立派に育てました。
羨ましい。
そんなお人好しのあなたに近づき援助を求め
そしてあなたへの負い目から、理屈の通らない感情で
非難して自分の立場を上位にしようとしているだけです。
男の狡さと小心が透けて見えます。
そのことを見抜けず懸命に頑張るあなたは愛しい。
苦言を呈すべきは、そのような男たちです。
私も「あなたに苦言を呈します」
当時身近にいた女性は皆幸福とは言えません。
私は別居生活が20年以上、もう一人は
最初の結婚は1年足らず、再婚したら死別
更に一人はまだ一人身です。
どのような責任をお取りなさるのかしら?
元気に 銀座でお食事しましょう。
下記はサンチョパンサブログです。
今一度……人による『当たり前の違い』について
2020-08-26 09:58:35
自分だけじゃないんだ❗……他者の体験を客観的に観させて貰う。
人の世で同じ成り行きで自分と不思議な位シンクロする『虚しい思い』を味わった人がいる……という事実を知る。
自分故の、『自分に起因した何か』によって浴びせられた難儀?……と自分を追い詰めていた思考が『そうじゃない!』……人の世には『人の真剣を嘲笑うニヒリスト達が』その真剣に突け入り利用する事があるのだ!……と一気に視界が開け解放されたのである。
それは……『人各々の当たり前』の違いから起きる誤謬なのだという『世の中の当たり前』に辿り着けた。
✳『馬鹿も一心』さんブログ……自嘲的に付けられた表題ですが……お時間ある時に是非ご一読を皆さんにオススメ致します。
計算、打算抜きの……生き方は今の時代こその『必要な思考と行動』を指し示してくれると僕は思うのです……✳
たまたま奥穂高、北穂高、涸沢……を危なっかしい素人登山した経験から……その方の友人の遭難死に対して向き合い行動された二日間の凄みを想像する事が出来た。
深い闇に一人彷徨する様な『何故だ?』の思い……しかしこの方にとっては『人として当たり前の思考と行動』だったのである。
この方の様々の体験記は……日常生活の中でも色んな種類の人間達との関係に於て山岳救助の際と『同じ質の誤謬』に悩まされ続けている。
『人としての当たり前』がこの方の場合極めて真っ当なんだけど……寓話『みにくいアヒルの子』と同じ構図……そんな人は極めて希少故に……単純に多数派から利用され虐められるのである。
この方のそのキャラクター故に難儀は多々ある。
しかしこの方は気付いておられないのである。
『自分の当たり前』が何れだけ素晴らしい体験を呼び込んで来たか?について。
僕は男……男である以上この方がさらりと控え目に流しておられる何人かの女性との関わりに引き込まれる。
無骨、愚直、不器用故に……感度高い女性が計算とか打算抜きに惹き付けられている。
山岳救助の件は人の死に対する義務感の強さ、真っ当さに圧倒されたけれど……この方の女性達との関わりは……酷く嫉妬心を揺さぶられた。
『斯く在りたい!』……シンプルに羨望しシンプルに憧れるのである。
とてもモドカシイのはこの方が自分の誇るべき素養に無関心というか不当に評価を低くしておられる事である。
客観的に観る時……この方ならではの『とても豊かな人生』を築かれているのに……と。
ま、仕方ないのかもね?……『人の真っ当』って奴を当たり前に出来る故に……その見返りとなる関わりあった女性達の反応もまた『当たり前なのか?』と僕は憧憬の念と羨望、嫉妬が入り雑じった感覚を覚えたのだった。