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太陽崇拝の思想



アマテラス大御神のおふだ。
集落の神社から二年に一度頂けます。頂いたいたことを忘れて放置していたおふだを最近見つけました。しかるべき場所に移そうと手にとってみて、思いがけず強いバイブレーションを感じて驚きました。

これまで樹齢何100年の大樹、樹齢1000年の御神木にふれて、その気、エナジーを実感してきましたが、こういうおふだが強いエナジーを持っているとは思っていませんでした。まあ印刷物といえば印刷物ですから。

スキャナーでパソコンに取り込んで、グラフィックソフトで画像加工する作業のあいだじゅう、非常に強いエナジーにうたれ、顔がほてり、全身が独特な波動につつまれました。不思議なことです。あんまり強くて作業を放棄したいと思ったほどです。ブログが書けないのでとりあえずおふだは遠くに置きました。

このプロセスで書きたいと思っていたことが飛んでいってしまいました。
そうそう、元京都芸術大学学長、哲学者の梅原猛先生の太陽論について触れたいと思ったのでした。梅原先生と、京セラ、第二電電の創業者にしてJALの再建にも取り組んだ日本を代表する経済人・稲盛和夫氏との対話篇「近代文明はなぜ限界なのか」です。







エジプト文明が三千年続いた理由---梅原

人類が危機から脱出するには、現代文明を根本から変えていかなければなりません。それには近代文明を批判するだけではダメで、「人類とは何か」「人類はどんな文明をつくつてきたか」といった根本原理に遡る必要があると思います。

古代エジプト文明は三千年にわたり、古王国、中王国、新王国と盛衰を繰り返しつつも繁栄を続けてきました。アレクサンダー大王(古代マケドニア王国のテメノス朝の国王。在位紀元前三三六~紀元前三二三年)に揉潤されても何とか生き延びましたが、ローマに征服されてついに滅んだのです(紀元前三一年)。

この文明はすばらしい高度な社会を築き上げました。ギリシア文明が繁栄したのは四百年ぐらいですから、それよりはるかに古く、長く続いていた。では、なぜ古代エジプト文明は長く続いたか。その正体を今後私なりに解き明かしていきたいのですが、自然崇拝、とくに太陽崇拝に重要なヒントが隠されているのではないかと考えています。

この太陽崇拝は、かろうじてギリシア文明ではアポロンの神の崇拝というかたちで残ったものの、キリスト教やイスラム教の普及で失われ、近代文明に至っては完全に人間中心になります。これをもう一度、「自然に帰れ」「太陽に帰れ」と訴える必要があると思います。

つまり、人類を救う新しい哲学を考えたとき、まず提案したいのが「太陽崇拝の思想」の復活です。



自然に対する畏敬の念を忘れた人類---稲盛

たしかに、エジプト文明をはじめ、古代の人類はみな太陽信仰みたいなものを持っていた。それはとりもなおさず自然に対する畏敬の念であり、人類は自然の恩恵があって初めて生きていけるという明確な思想を持っていた。

ところが近代になって、人間はあふれるような好奇心をもとに英知を活かし、科学技術を進歩させてきました。その近代文明の発展は、自然でなく人間主体で、自然とは人間がその英知のままに、思いのままに利用するものと捉えられてきました。そのために自然を破壊し、変えていくのも厭わない。そうやって高度な科学技術に支えられた近代文明をつくりあげてきたのです。
 
人類にとってすばらしく住みやすい社会をつくり、やがては人類のユートピアができるのではないかと思えるほど、科学技術を進展させていきました。マクロでは宇宙空間まで飛び出せるようになり、ミクロではナノの世界に足を踏み入れ、あるいは生物のDNAまで操作できるようになった。

ところがその結果、「われわれはどんなこともできる」「科学技術を次から次へと発展させていけば、できないものはない」といった、人類の倣慢さを生むことになりました。

たしかに人類は立派な科学技術を育んできましたが、それが倣慢を生み、いま人類の暴走はますます加速度が増している。古代に帰れとはいいませんが、やはり太陽の恵みに感謝し、太陽というものに敬虔な信仰心を持っていた古代エジプト人たちのような思想に回帰する。つまり、倣慢になった人類が、あらためて自然に対し、畏敬の念を持って接する。そういう哲学に立ち返る必要があるように思います。



太陽崇拝こそ人類の文明の原点である---梅原

私が太陽崇拝の重要性を考えだしたきっかけは、稲盛さんご夫妻たちと一緒にエジプトへ旅をしたことです。この旅行はエジプト考古学者の吉村作治さんの案内で行ったものですが、じつをいうと最初はあまり気が進みませんでした。去年、春には前立腺癌の放射線治療を行ない、秋には蓄膿症の手術をしたので、肉体的に少し弱っていたからです。

ところが、惑星科学者の松井孝典さんが、「ぜひ行ったほうがいい。エジプト行きは、梅原さんの哲学にたいへん有益な刺激を与えるはずだから」というのです。私もそう思いましたし、稲盛さんも参加すると聞きまして、「これは行かねばならない」と参加することにしたのです。

実際、松井さんの予言どおり、私にとってじつに収穫豊かな旅となりました。その成果を吉村さんとの対話のかたちでまとめたのが、『「太陽の哲学」を求めて』(PHP研究所)です。

もっとも、往きはかなりヨタヨタしていたんです。乗り継ぎのドバイ空港では、車椅子に乗せられて移動していました。ところが、帰りになると、スタスタと先頭に立って歩けるようになった (笑)。皆さんも驚かれたようですが、私も驚いた。

それはなぜか。一つには、砂漠のなかを歩くことがリハビリになった点がありますが、もう一つは、エジプトのラーという太陽神の霊感というかエネルギーを体全体に受け取り、元気になったと思うのです。