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みそぎが池



去年大晦日に宿泊した宮崎の大淀川湖畔。
川端康成が昭和39年(1964)、この湖畔にある宮崎観光ホテルに15泊して書いた小説『たまゆら』のことを記念して建てられた石碑が、ホテル前の堤防にありました。



小説『たまゆら』。その題字が石碑と同じ川端の書。

ところがしかし、職を退いた今、旅に出てみたいと思い立つと、いちばんに心誘われたのが、「神話の国」、日向であった。つづいて、出雲の国であり、大和の国であった。
なぜかは、直木自身にもそう明らかではなかった。学生、つまり青春時代の知と情への懐旧、あるいは老いのせいによる、自国への郷愁と、単純にかたづけられもしなかった。
過去をたずねると言うよりも、むしろ、直木はこのような旅から、自分の新しい出発の足がかりをもとめたかった。
第二の別の人生のために、「禊(みそぎ)」をする心づもりとも言えそうであった。
先ず、日本の神話、伝説、歴史、そして自然によって、自分を洗い清めることである。


この小説を書いたとき川端は65歳。
小説の主人公直木も65歳という設定。

私たちは1月1日に、日本最初の禊の地、宮崎の阿波岐原(あわぎはら)を訪ねました。川端の『たまゆら』では、こんなふうに書かれています。

「古事記」の神話に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、吾(あ=私)は「きたなき国に到りてありけり。故、吾は御身の禊せむ」とのりたまひて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓いたまひき」とある。その阿波岐原に行ってみたくて、直木はホテルを出て来たのである。



私たちはまず阿波岐原の江田神社に詣でました。
小さなおやしろと狭い参道のせいで大変な行列ができていました。
15分ほどだったのか30分だったのか、生まれて初めて初詣のために行列に並びました。初詣には行っても行列に並ぶことなんてありませんでした。





江田神社詣でのあと、こういう松林を通りその先にある
伊邪那岐命が禊をしたという池に向かいました。





予想していなかったのですが、ここにはパワースポット特有の強いバイブレーションがありました。



不思議なことに現実ではない写真にも強いバイブレーションがあって
ブログに載せても同じバイブレーションがあります。
お~い新潟のYちゃんどうでしょうか?(Yさんは敏感な受講生)