Michelle Obama's Full Speech at Tuskegee University 動画
FBで感動している人がいたので見てみた。
書き起こし
The White House
Office of the First Lady
For Immediate Release May 09, 2015
Remarks by the First Lady at Tuskegee University Commencement Address
Tuskegee University
多くの黒人が通う大学で、オバマ夫人が、卒業生に送る言葉、
Or you might remember the on-stage celebratory fist bump between me and my husband after a primary win that was referred to as a “terrorist fist jab.” And over the years, folks have used plenty of interesting words to describe me. One said I exhibited “a little bit of uppity-ism.“ Another noted that I was one of my husband’s “cronies of color.” Cable news once charmingly referred to me as “Obama’s Baby Mama.”
And of course, Barack has endured his fair share of insults and slights. Even today, there are still folks questioning his citizenship.
And all of this used to really get to me. Back in those days, I had a lot of sleepless nights, worrying about what people thought of me, wondering if I might be hurting my husband’s chances of winning his election, fearing how my girls would feel if they found out what some people were saying about their mom.
黒人としてオバマ氏も夫人もさまざまな差別、屈辱をうけたり、悪い評価を受けて悩んだりもしたが、
But eventually, I realized that if I wanted to keep my sanity and not let others define me, there was only one thing I could do, and that was to have faith in God’s plan for me. (Applause.) I had to ignore all of the noise and be true to myself -- and the rest would work itself out. (Applause.)
ここが演説のピークで、観衆は立ち上がるのだが、
正気を保って、他人の評価に引きずられないようにするには、ただ、自分に与えられた神からの使命(計画)に対する信仰をもって、雑音には耳を傾けず、自分自身に忠実であることだ、と最終的には悟りました、
と
ここらへんが、ぼくからすると非常にアメリカ人的で、一つには、
1)世間から独立した個人の確立
そして
2)その個人は絶対的な神(の計画)に支えられているという信仰を持つ
ということ。
この二つは別々のものなく、世間からのバッシングに立ち向かうには、他の個とならぶ相対的な個では、圧倒的な多者にやられてしまうから、やはり、絶対者に支えられているという意識が必要なわけで、そうした意識が、信仰というか、本人としては、目覚め、というか、それで、自分が救われるわけですね。
で、他を、そして多を圧倒する絶対的神が後ろについているから、頑張ってやっていけるわけですね。
本当は、神なんか存在しないんだけど、自分の計画を神の計画として読み替えることで、強さも得る。
自分の私的な思念が、絶対的な神に裏付けられているという信仰があるから、いい意味では、世間にも負けずに、頑張れると同時に、世間に、自分の計画をごり押しもしてしまう。
よくも悪くもアメリカ的だと思うのです。それに対比されるのが
先ほど出てきた日本的古層なわけですね。
オバマ夫人らは、動揺する自己の根底に神に裏付けられた本当の自分を見出したわけですけど、矮小な自己の根底に何もない、無とか、空、とかいうものを見出してしまう場合もある。
その類型もいろいろありえて、サルトルの無の場合だと、無だからこそ、アンガジェしていく みたいに、自分で自己規定して、自分の選択、行為に責任をもっていく、というありかたもありえるわけですけど、日本人の場合は、主体なく、世間に流される、欧米に流される、という方向に行きやすいのでしょうね。
いい意味では無私。私は、根底で無なわけですから、ない自分に浮かぶ思想=妄想を他人様には押し付けるなんて滅相もない。”自分”という妄想の壁に遮られないから、他者の苦しみや悲しみを直接同調していくこともできる。
しかし、悪い意味では無責任ーーーそれが日本的といえば、たしかに言えるのかもしれないな、と。
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