Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

女性専用スペースは差別を助長するか?

2015年06月29日 22時15分02秒 | Weblog


女性専用カラオケルーム

I can understand why women-only spaces are appealing, particularly in a society like Japan where casual sexism is still well accepted, but I worry that popularizing gender-segregated spaces only reinforces the idea that women are somehow more fragile than men, more in need of special care. I also worry that while these spaces may feel like a refuge from day-to-day sexism, they are also a retreat from co-ed spaces that should be comfortably shared.

Then again, maybe I’m just being overly sensitive and reading way too much into a marketing gimmick, in which case, I’m sure the commenters will let me know.


そもそもカラオケルームはそもそもプライバシーを確保できているのだから、必要ないし、あると、女性は男性よりか弱で、特別の支援が必要という観念を助長するのではないか、と

著者も半ば気付いているように、読み込みすぎだろう。

黒いハンバーガー、赤いハンバーガー同様、目立つこと、差異化を狙った市場戦略であり、女性専用カラオケルームがいつまで続くかわからない。

カラオケルームの男女区別に、か弱い云々の観念の観念は入りこむ余地はない。

他方、女性専用列車は、チカンの多い現実に鑑みて、作られたものであり、チカンが現実があり、即効性のある改善策がないまま、女性専用列車がない英国など、他国の方が遅れているのである。

自分の国に帰って、便所や更衣室に男女の区別があることを嘆いたらどうだろうか?


因みに、昔は、日本には混浴や男女共用のトイレまであったが、そのころは、そうした日本の男女共用が変な文化の変な慣行とみなされていた。

自分の国、文化と違う者、違う習慣を変で、遅れて、劣っている、とみなす傾向は根深いものがあり、多文化主義などどこにも根付いていないのが、よくみてとれよう。



無謀に驀進、戦前の習性のままーーー野党はなぜ、もっとここも攻めない?

2015年06月29日 15時46分40秒 | Weblog
新国立「無謀」 JSC、1年前に認識 計画修正できず

2015年6月29日 朝刊


 新国立競技場(東京都新宿区)の建設問題で、文部科学省から事業を任された日本スポーツ振興センター(JSC)内では少なくとも昨年春の時点で、計画が行き詰まりをみせていたことが、関係者への取材で分かった。下村博文文科相は今年五月に初めて、コストや工期が予定を大幅に超える恐れがあると認めたが、関係者の証言からは、JSCが早くから計画の無謀さに気付きながら軌道修正できなかった様子が浮かぶ。


無謀に驀進、戦前の習性のままだね。

野党はなぜ、もっとここも攻めない?ーーー自分たちも責任の一端を担っているからか?



新国立競技場の総工費は2520億円 下村博文文科相が明らかに

2015年6月29日 12時40分
ざっくり言うと

29日、新国立競技場の総工費が2520億円になると下村博文文部科学相が明言
1300億円の見込みが、資材の高騰などにより約2倍になると正式に示された
東京都の負担額については、同日の会議では議論されなかったという


2倍って誰が払うとおもっているのや?





フェイスブックレインボー 支持しているよ、と知って安心する友だちもいるかも。

2015年06月29日 15時20分49秒 | Weblog

かさこ2015年06月28日 12:18意味がわからずフェイスブックレインボー~伝わらなければ何の意味もない


おれはやったな。関連記事のリンク貼ってあるから、意味はわかる。

FBともだちのなかの性的マイノリティーの人が、「おれは支持しているよ」とはっきりすれば、ちょっぴり安心するかもしれないじゃないか。

いちゃいちゃ PDA ---へええ

2015年06月29日 05時24分45秒 | Weblog
外国人と盛り上がるテッパン英語 | Japanese Speaking Practice 動画


PDA

Public Displays of Affection, can be seen in the form of kissing, touching, groping, licking, nuzzling, cuddling, crossing hands into each other's opposite back pockets, etc. Usually spotted among new couples, frisky teenagers, and occasionally the "young at heart" (god help us).


へええ。

英語の勉強にもなるななああ


日本に強引に自分の固定観念を押し付けようとする典型的な”外国にルーツのあるばか者”

2015年06月29日 04時35分10秒 | Weblog
にしゃんた ファンになる
社会学者・羽衣国際大学教授・タレント
メール
日本に「外国人」いらない。
投稿日: 2015年06月28日 16時56分 JST 更新: 2015年06月28日 16時56分 JST


下の子と父の参観日に出かけた。移動中、久しぶりに手をつないでもらって嬉しかった。道中、母に自転車に乗せられた子どもの同校生が我々を追い越した。2,3メートル離れた所で、その子どもに大声で「外国人や!」と言われた。彼の母にははっきり聞こえているのだが、知らん振りして自転車を漕いで去って行った。その言葉を聞いた瞬間、我が子はパッと私の手を離した。子どもの笑顔が消え、表情は曇り、それから行きも帰りも手を繋いでくれることはなかった。

その数日後に、上の子どもの担任から会いたいと電話があった。どんな内容か会うまでは心配だった。家にやって来た教師は「子どもから何か聞いていませんか?」と尋ねられた。「聞いていない」。その日の昼、子どもは、同級生に囲まれて「外国人やろう!?」と言われていたようだった。それに気付いた担任教師が息子を呼び「どんな気持ちだった?」と聞いたらしい。「悲しかった」と答えたそうだった。下の子の登校中に出会った母と違い「外国人」は人を傷つけると気づいた教員に敬意を表した。

そのあくる日、妻と日本人友人と3人で大好きな蕎麦を食べに専門店に行った。3人で雑談をしながらメニューを待った。すると店員は、何かを確認することもなく妻と友人の前には日本語のメニューを私の前には英語のメニューを不愛想に置いて行った。パッと見で外国人風なら英語のメニューを出せとインプットされているに違いいない。しかしそれは「おもてなし」とは程遠い「あほの一つの覚えの日本人」の浅はかで、侮辱な行為に過ぎない。その日は、結局は大好きな蕎麦を食するのを我慢し、日本語のメニューにしか書いてなかった卵かけご飯を蕎麦専門店で頼むことにした。運ばれてきた卵は、黄身と白身が分けられた妙な出され方だったので、 店員に食べ方を尋ねた。私が日本語で聞いているのに、私の顔を一度も見ることなく、店員は、妻に向かって長々と食べ方の説明を続けた。おかげで幽霊になる貴重な経験が出来た。

さらに数日後のことである。信号を待っているとこっちに向かって微笑んでいる一人の男性と目が合った。もちろん微笑み返した。知り合いでもないのでそれ以上は関わらず、信号機に目をやっていた。しかし横から視線を感じる。気になりそっちを見ると先ほどの男性がこちらを見ていた。しかも口元が動いている。道でも尋ねているのかと思ったら、そうではなかった。観光客と決めつけられていた。彼が口に出していたのは「ウェルカム トゥ ジャパン」だった。こうなると来日30年近く経っても未だに歓迎してくれているとは有り難いと思い笑うしかない。彼には「サンキューベリーマッチ」とコテコテの日本語訛りで感謝の意を伝えた。


ここのブログでも散々取り上げてきた。


肌の色の違う人たちを外人・外国人と決め付けるな。

日本語でたずねて、選択肢を与えよ。


授業参観に光景については、芸能人の子供などでも、「○○(芸能人の名前、通称)だああ!」とやられることはある。子供にとってめずらしい存在なんだろう。

言われた子供は、照れる、恥かしい、悲しいなど、いろいろな反応がありえる。



しかし「外国人」の代わりとなる言葉を考える必要が出てくる。「外国人観光客」の代わりに例えば「海外(国外)からやってくる観光客」、「外国人」の代わりに「外国にルーツのある」などに置き換えよう。その説明は長くなる。長くなればなるほど良い。長い説明を口に出している間が、多数派日本人にとって、この国の人を「日本人」対「外国人」を安易に分けられないことに気付き、考える時間になる。同時にこの面倒な時間が人を見て「外国人や!」などと簡単に吐き捨てるようなことを止める各々にとっての良い訓練時間にもなると期待している。


しかし、これはいただけない。じぇげむじゅげむじゃあるまいし、ながければいい、というものではない。


言葉を変えても、態度や行動がかわらなければ、無意味であろう。
にゃさんたさんのような人をみて、「外国にルーツを持つ方には英語のメニューをね」と店長に言われ、奥さんのほうに始終話しかけられたら、満足いくのであろうか。

子供たちが、「外国にルーツを持つ人だあ!」と指さして叫んだら、ご満足なのだろうか?

あるいは、


外国人の固定観念を日本に押し付けようとする外国にルーツを困ったにゃしゃんただあ!

日本語の語法を理解できていない外国にルーツをもつにゃしゃんただああ!

ふざけるな外国にルーツをもつ馬鹿野郎!



これならご満足いただけるのだろうか?

外人にせよ、外国人にせよ、いい文脈でも悪い文脈でも使われる。Niggerのように、否定的な意味が、その言葉に染み付いていない。

言葉が悪い文脈で使われるときをとらえて抹消しなければならないのなら、言葉のほとんどすべてを抹消しなければならないことになる。

言葉を対象にするよりも、差別的な態度、行動を標的にすべきだ。