散るぞ悲しき
最近頭がぼけちゃって、あまり本読んでない。で、もってこの前紀伊国屋で買った洋書、帰りにどうも、頭がボーとしているせいか、鞄から落ちちゃってなくしちまった。それが悔しいのなんのって。
この本、すでにお読みになったことがある人も多いと思うが、文庫化されたから買って読んでみたーーー名著。
敗北するとわかっている戦争に巻き込まれて、愛する自分の家族が一日でも長く平安な生活が送れることを願い、最期まで部下を慈しみ、その命を家族や祖国の人々のために一寸たりとも無駄にせず、朽ち果てていった男の記録。
死を覚悟しての硫黄島での娘の夢
と娘に手紙を残している。
クリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」も感動したが、 この書もその他、目をうるまさずに読んではいられない逸話満載である。そして、日本はこうした人々やその家族に十分報いてこなかった。
この手の書物に対して戦争を美化しているなどという批評は的外れだ。戦争を非難するのは批難してよい。しかし、運命に翻弄されながらも、死に向き合い、愛を貫徹するというのは文学やノンフィクションの正統な系譜の一つであって、たんに場面が戦争の一場面だからといって、その価値が減殺されるわけではない。この書も日本の「悲しみ」の文学・ノンフィクションの系譜に属する秀逸な作品である。
話がちょっとかわるが、あの古歩道氏が、
と言っている。
毒ガス島の毒ガス使用については、それがどれだけ現実に使用されたかは定かではない。731部隊の毒ガスでも、残虐な研究があったことは事実にせよ、実際には使用に耐えなかったというのであるから、古歩道氏のいうように大量に実践されたとは思えない。もっとも、全然使用されなかったかといえば、それも嘘であろう。
古歩道氏に関しては以前、合成動物写真で騙されたこともあるし、その主張にもっともっと証拠の積み重ねが必要であることは確かである。ただ、その主張の論拠のあやうさにもかかわらず、この人の論調には日本に対する愛を感じる。上記発言も、英語圏の事情を知る古歩道氏ならではご発言であろう。
はやい話が、例えば韓国から送られてくるメッセージは被害妄想の塊であきれるだろう。日本の場合、被害妄想とは言えなくても被害者意識だけでは、バランスを欠く。国外の人にどう映るかも念頭におくべきだ。また、他者の視点に立てる想像力はその人の成熟度を示す。
以前Japan probeでとあるアメリカ人写真家が原爆の不当性を訴えるビデオを紹介していた。本ブログでも紹介した。 アメリカ人の大半は一部の研究者を除いて、原爆のなにが悪いんや、米兵を救うためにジャプの婦女子を殺して何が悪い?そもそも日本が悪いんや、という意見が大半である。そんななかでこうした発言をしたアメリカ人を我々は尊敬するだろう。もし、そうした発言がなければ、むしろアメリカに対して不信感を抱くだろう。それと同じである。
例えば、南京虐殺で100万人市民を虐殺したとかいって日本を残虐非道の戦争好きのように描写するのも極端なら、そうした不法な犠牲は皆無なのだ、というのも極端である。数に論争があるものの多大の数の市民捕虜に対する虐殺のあったことの不当性はまず正直に認めることがむしろ国内外の日本の信頼を得る道ではなかろうか?
ま、バランスに欠けるおれがいうのもなんだか、バランスがある態度の方がかえって日本の信頼を勝ちとりやすいのではないか、と思うのである。その意味で古歩道氏の発言の趣旨も何らかの形で取り入れるのも一考に値すると考えるものである。
散って悲しかったのは、日本人だけではない。
最近頭がぼけちゃって、あまり本読んでない。で、もってこの前紀伊国屋で買った洋書、帰りにどうも、頭がボーとしているせいか、鞄から落ちちゃってなくしちまった。それが悔しいのなんのって。
この本、すでにお読みになったことがある人も多いと思うが、文庫化されたから買って読んでみたーーー名著。
敗北するとわかっている戦争に巻き込まれて、愛する自分の家族が一日でも長く平安な生活が送れることを願い、最期まで部下を慈しみ、その命を家族や祖国の人々のために一寸たりとも無駄にせず、朽ち果てていった男の記録。
死を覚悟しての硫黄島での娘の夢
それはたこちゃんがおふろからあがってめそめそ泣いていました。お父さんは「どうして泣くの、おふろがあつかったからかね?」と尋ねるていると、おかあさんが笑いながら出てきて「きっと甘いものがほしいからでそう」というてお乳を出して飲ませ、二人して寝転がりましたが、そのとき、たこちゃんはほっぺたふくらしてスパスパおちちを飲んで、とてもうれしそうにしていました。
そこへまたねえちゃんが出て来て、「たこちゃんはこんなに大きくなってもオッパイを飲むとはあきれたあきれた」と言いながらたこちゃんのほっぺたをつきました。それだけですが、お父さんはみんなの顔がはっきり見えたので会ったのも同じようでした。どうです、おもしろい夢でしょう」
と娘に手紙を残している。
クリントイーストウッドの「硫黄島からの手紙」も感動したが、 この書もその他、目をうるまさずに読んではいられない逸話満載である。そして、日本はこうした人々やその家族に十分報いてこなかった。
この手の書物に対して戦争を美化しているなどという批評は的外れだ。戦争を非難するのは批難してよい。しかし、運命に翻弄されながらも、死に向き合い、愛を貫徹するというのは文学やノンフィクションの正統な系譜の一つであって、たんに場面が戦争の一場面だからといって、その価値が減殺されるわけではない。この書も日本の「悲しみ」の文学・ノンフィクションの系譜に属する秀逸な作品である。
話がちょっとかわるが、あの古歩道氏が、
日本ではいずれ広島、長崎と同様に大久野島を有名にすることにより、日本を被害者意識ばかりで加害者意識が足りないと思っている外国人からのイメージアップに繋がるかもしれません。
と言っている。
毒ガス島の毒ガス使用については、それがどれだけ現実に使用されたかは定かではない。731部隊の毒ガスでも、残虐な研究があったことは事実にせよ、実際には使用に耐えなかったというのであるから、古歩道氏のいうように大量に実践されたとは思えない。もっとも、全然使用されなかったかといえば、それも嘘であろう。
古歩道氏に関しては以前、合成動物写真で騙されたこともあるし、その主張にもっともっと証拠の積み重ねが必要であることは確かである。ただ、その主張の論拠のあやうさにもかかわらず、この人の論調には日本に対する愛を感じる。上記発言も、英語圏の事情を知る古歩道氏ならではご発言であろう。
はやい話が、例えば韓国から送られてくるメッセージは被害妄想の塊であきれるだろう。日本の場合、被害妄想とは言えなくても被害者意識だけでは、バランスを欠く。国外の人にどう映るかも念頭におくべきだ。また、他者の視点に立てる想像力はその人の成熟度を示す。
以前Japan probeでとあるアメリカ人写真家が原爆の不当性を訴えるビデオを紹介していた。本ブログでも紹介した。 アメリカ人の大半は一部の研究者を除いて、原爆のなにが悪いんや、米兵を救うためにジャプの婦女子を殺して何が悪い?そもそも日本が悪いんや、という意見が大半である。そんななかでこうした発言をしたアメリカ人を我々は尊敬するだろう。もし、そうした発言がなければ、むしろアメリカに対して不信感を抱くだろう。それと同じである。
例えば、南京虐殺で100万人市民を虐殺したとかいって日本を残虐非道の戦争好きのように描写するのも極端なら、そうした不法な犠牲は皆無なのだ、というのも極端である。数に論争があるものの多大の数の市民捕虜に対する虐殺のあったことの不当性はまず正直に認めることがむしろ国内外の日本の信頼を得る道ではなかろうか?
ま、バランスに欠けるおれがいうのもなんだか、バランスがある態度の方がかえって日本の信頼を勝ちとりやすいのではないか、と思うのである。その意味で古歩道氏の発言の趣旨も何らかの形で取り入れるのも一考に値すると考えるものである。
散って悲しかったのは、日本人だけではない。